160617 背伸びし続ける自分の力不足を感じる1日

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わたしは、ずっとずっと、背伸びして生きてきました(今も少し背伸びをして生きています)。

平成元年、教員なりたてのとき。
ちょうど、教育技術の法則化運動のピーク(を少し過ぎたあたりかな?)。
いつか、自分も教育書を読むだけでなく、書き手になれたらいいなそんな思いを抱きつつ過ごしてきました。

背伸びは、思っていると、なんだか実現してしまう可能性が高いらしく、教員になって10年目に教育雑誌に自分の拙文を乗せてもらうことができ、雑誌だけでなく書籍にも部分執筆のような経験ができるようになりました。

すると、身近な人が、教育集会の講師のような役をして話をしているのを見て、また、背伸びしたくなりました。自分も、そういう役割を経験してみたいな、なんてね。そんな機会もちらほら回ってくるようになりました。

でもね、背伸びとそれが適合しているのは、当然だけど異なっていて、最近は、自分の力のなさを今更ながら、わかってきています。

だから、そんなわたしでも、お招きくださる方があると、どうにかしなくちゃならんと思うのですが、どうも、わたしにはそういう病があるのかどうだか、どうも、ストレートにしか話ができません。つまり、話の仕方が全て直球なんですよね。

講演、講話、いずれも話のプロフェッショナルな方は随所に、エピソードや例え話を入れ込んできて、人を笑わせたり、感心させたりしながら、それって本題とどこがどのようにつながるんじゃい!と思わせておきながら、最後にはしっかりと話がその本題に帰ってくるというテクニックなのか、一つの生き様のか、そんな感じにさせてしまいます。もちろん、そういう方には血の滲むような練習や特訓があるのだろうと思います。もちろん、感覚的にすぐにできてしまう方もいるでしょう。

そういう、仕組みとかはこうして文章に書きながらも、わたしにはうまくできない…。とういか、できないということで免罪符をもらおうと思っているのかもしれないし、最初から努力をあきらめてしまっているところもあります。

「背伸びしたい」「あこがれ」はあるけど、それだけで、そこに向かうだけの努力をしていないわけですね。

今日も、『学び合い』のいろんなことを知りたがっていたでしょうに、わたしの力不足でどれだけのものが伝わったかわかりません。せっかく貴重な時間を頂いたのにね。

悩みます。

4月1日。
ちょうど、本学に赴任するとき、わたしの尊敬する方からメールをいただきました。

「阿部さんは、赤坂さんや池田修さんや、岩瀬さんとはまた違った感じの大学の先生になれるんじゃないかなぁ。楽しみにしています。」

これ、どんな気持ちで書いてくださったのかわからないのですが、なんだかめちゃくちゃうれしかった。とっても勇気づけられました。毎日毎日、自分の力の無さを感じるたびに、このメール文が頭の中にうかびます。

背伸びした結果、なってしまった大学の先生。
でも、そこで接する学生さんが力不足の先生と対面したのでは申し訳ないです。

わたしにやれること、わたしだからやれること、わたしだからこその表現方法。考えていきます。

理論と実践の往還を目指して!!


© Takayuki Abe 2016