20160908 「よい授業」についての会話

授業の話って、とっても難しいですよね。

例えば、ある授業を何人かの先生と参観していたとします。
授業が終わって、隣の先生と目が合ったとき、
「いい授業でしたね」
に対して
「はい。いい授業でしたよね」
という応えをしたとして、このお二人は同じ所を同じようにいいと言っているのだろうか?
ということです。

この「いい授業」って、人によってずいぶん違うと思うんですよね。
だから、まずは話をしているとき「いい授業」というのを自分は、相手はどういうことを考えていて、その中で、この「いい授業」の「いい」ってどこを行っているのだろうかと言うことを話していかないと、なんだか、互いに自分勝手な想像をして、自分勝手な言葉遊びをして、互いに自分の中での理解で終わってしまう……ように思うわけです。

それでね、もし、双方の「いい授業」観が違ったとするじゃん。
それは、それで、この授業を見て、その授業を媒介して、互いの「いい授業」観が異なるのだということがわかったというだけで、随分、いいことなのかなと思うわけですね。

そうなると、今度は、「授業づくり」をするとき、簡単。
互いの「いい授業」のすりあわせをしなくて済むから。

目的や、目指す姿を共有しやすくなるんじゃないかなぁ。

わたし、同僚や学生さんとかもかな。
授業づくりを話すとき、ここがめちゃくちゃ気になるんです。

私の中で「こういう授業を!」という部分はあるんですけど、自分が授業をするとき、自分がよいと思っている授業をその方に勧めようとは思わないんですね。基本。わたしは。
それではなくて、その人がよいと思っている授業をどのように実現するかといういうことに腐心するんです。
だって、その人の授業なんだから、その人のやりたいようにしてあげたいし、と思うわけ。

で、なかなか難しいのが、わたしがよいと思っている授業では無いことをその人がやろうとしていて、その人の授業づくりを手伝うときですね。
これ、なかなかモチベーション下がるんです。だって、わたしはよいと思っていないんですから……(^0^;)。
「だったら、言えば?」
ということになりますが……。
まぁ、やんわりと言うときはあります。
でもね……。

もちろん、どんな授業でもその影響が一番大きいのは子どもたちなので、子どもたちのことを考えての発言はしますけどね。
難しいです。

これは、いくつか考えがあって。

自分のことを言えば。
自分が今、「よい」と思っている考えや方法は、もしかしたらよいものではないかもしれない。だから、自分はともかく、相手にそれを押しつけるのはどうなんだろうか……。ということです。

相手のことを言えば。
もし、わたしが考えていることが正しいとして。相手が、自分の意思で納得していないことを押しつけられたとしても、それをしっかりやろうとしないだろうし、もし、やっとしても表面上だし、すぐにやらなくなるだろうし。だったら、その人がやりたいと思うことを突き詰めた方がまだましなんじゃなかろうか……ということなんですね。

小心者のわたしが、小心でものを考えるから、こんな子面倒くさい感じになるのかな。



© Takayuki Abe 2016