20160922 髙橋学級参観記

もう少し丁寧に、高橋尚幸学級参観を振り返っておこうと思います。

高橋尚幸さんと言えば、今や、『学び合い』実践者のトップランナー。教室でめちゃくちゃすごい「学び」を教室で展開しているのだろうと予想する人が多いことでしょう。

実際に見る外見は…、子どもたちがめあてに向かって黙々と取り組み、課題についてわからないことがあると近くの友達に尋ねて、「なるほどね」ということで進んでいく…、とっても自然で穏やかな授業の様子でした。

話に聞くと、昨年度とは随分子どもたちの様子が違うそうです。それは、高橋さんの取り組み方が違う部分も大いにあるでしょうが、それ以上に、子どもたち集団の違いによるものです。

この状態を見ると、全国の『学び合い』初心者、そして、勘違い者は、『学び合い』を随分と誤解している人が多いのだろうなと思います。

この「学び合い」という名称による誤解です。この名前があるために、どうにかして子ども同士を「かかわらせなくちゃいけない」(つまり、「学び合わせる」)ことに一生懸命になるわけです。

違うんですよねえ。

「学び」ってひとりぼっちのものではありませんよ。一緒に学んで「も」いいんですよ。一人でもんもんと悩んでいたっていつまで前に進まないことってあるでしょ。だったら、友達に聞いちゃおうよ。相談しちゃおうよ。しゃべっちゃおうよ。

なんですよね。高橋学級を見て、めちゃくちゃその感覚を呼び起こすことができました。

だから、目の前の学級の状況があって、そこについての対応があるわけです。

例えば、今まで「学習の中」で集団が分断されていて、個での学び(または、教師と子ども、一対一の学び)だけで行ってきた子どもたちにとって、授業中に好きなタイミングで好きなように友達に話しかけることは今まで禁止されてきて、ありえない状態だったかもしれません。そういう体験的な学びをしてきた子どもたちに対しては、「関わること」を若干強く意識した「学び」の仕組みづくりを働きかけを初期にはしなければならないかもしれません。しかし、それは、子どもたちが主体的に学んでいくことの最初の一歩なのです。いつまでも、協同学習の技法、ラウンドロビンとか、ラリーロビンとか、いろいろと技法を知ったからといってそれを使い続けていることの虚しさを感じるべきです。結局は、それはいつでも自分(指導者の)思いのままに学び合わせている(関わらせている)だけなのですから。

例えば、「個のまなび」の大切さ、心地よさを知らずに、「集団にまぎれる」ことだけを選んできた子どもたちに対して、集団で関わりながらも、同質性、均一性に染まらずに、同調圧力に屈せずに、個を中心とした集団の学びの心地よさを、感覚を味わってもらうことが大切です。

そんなことを、言葉で伝えただけではしかたありません。そういうことを言葉で伝えることは大切です。そして、その言葉を実現するための環境を整えて、日常的に展開することです。「学び」は日常的なものであり、イベントではありません。もちろん、イベント的なものもあってはいいと思います。それは、日常の中に祭りがあり、そういう節があって、生活がうまく進んでいくのと同じです。当たり前ですが、日常と非日常(祭りや旅行、キャンプのようなもの)は時間的な割合を見ると均等ではありません。圧倒的に日常が多いです。だから、わたしのような外部の人間が訪れて、非日常を経験するのも、その節々では大切かもしれませんが、そこから、いかに日常を展開していくかということを考えていく必要があります。

今まで、学校教育は、日常の中で非日常ばかりを考えてきた経緯があります。日常という当たり前をいかに過ごすか。その発展的なものに非日常があるのだということを知っていきたいです。

高橋学級に戻ります。

尚幸さんは、丁寧に日常を紡いでいました。子どもたちは穏やかに次のこと、次のことへと進んでいきます。もちろん、尚幸さんの大きな指示はありません。

それを支えているのは、4月当初の授業の進み方を尚幸さんと子どもたちとでいかに構成していったかということに関係していくのでしょうが、それに加えて、教科ごとの単元表(尚幸さんはこれをなんと呼んでいるのか聞きませんでしたが)によるものでしょう。

この学習スタイルを考えるに、子どもたちの学びの方向、質が変わる、または、変えていくとしたら、この単元表をいかに作成するかというところに焦点が行くかなぁということなのだと思います。

  • 4月の授業開き、学級開き時点での子どもたちへの言葉かけ、環境づくり
  • 単元表の構成
  • 授業開始時の教師の語り
  • 子どもたちが学び合っている時の、教師の声かけ(可視化になるときもならないときもある)

このあたりかなぁ。ポイントは。

今、『学び合い』と「きっちりした授業」との境目で進めている学校や学級は、たぶん、1時間に1つの「課題」または「めあて」があって、1時間でどうにかしようと躍起になっていると思うのです。でも、たぶん、それでは『学び合い』を実現しようとしてはいても、前面に教師が出てコントロールをきたさないとうまく進まない場面がいくつもでてきます。

単元で進めるようになると、次段階です。

そして、それを横断的にできたら、もっともっと先に行くのでしょう。文科省が出してきた「カリキュラム・マネジメント」という言葉をうまく使って展開できる公立の学校(または学級)がいつ現れるか。

そこが楽しみです。

尚幸学級の「この次」がめちゃくちゃ楽しみです。

© Takayuki Abe 2016