2016年9月

20160930 定期的にぶり返す、デジタル思考ツール探しの旅

9月26日の投稿で「自分の確認ミスで40分の講話の時間があるのを現場に行ってから知り、焦って、授業等を見ながら話す内容を考えた」という旨の文章を書きました。

その時の話の構成に使ったのが、「MandalArt」というiPhone&iPadアプリです。

「マンダラ」という思考法の上に成立しているアプリで、これって、とってもデジタルと相性が良いと思うのですよね。
上の画面を見ていただくとおわかりのとおり、中央に今回の一番大きなテーマを書きます。今回で言えば、「○○小学校校内研修」です。

で、その周り(8マス)にそのテーマの下にあたるトピックを書いていきます。今回は、8つもなかったので、4つにしました。

で、そのトピックをワンタップすると、そのトピックが中央に来て、また、そのトピックの周りに8このメモ欄ができあがるわけです。下を参照してください。これは、上の「講義内容」をワンタップしたときに表れる図です。


これら、1マス1マスをセルと呼びますが、そのセルとダブルクリックすると広い白い画面になりまして、長文を書いていくことができます。ですので、上の画面で言えば、「講義内容」の左に長文で文章が途切れてしまっているような画面がありますが、そこをダブルクリックすると長文が表れるわけです。

また、右上の「9×9」をタップすると、広い画面(81マス)が俯瞰できるようになっています。

基本、放射線的に思考するわけで、マインドマップ的ですが、マインドマップは自由に書けることに対して、案外、システムチックなんですよね。その時その時によって、心地よいときがありますが、こちらの方がデジタルにはパッパッと記述できるので相性がいいなぁと思っています。

今回、このツールがあったおかげで、なんとか、自分の頭の中を整理し、40分話すことができました。

マンダラ、そして、このアプリ「MandalArt」に感謝!




20160929 頭が重い……

今日は、ほぼ1日中、研究室。

こうして、研究室にこもっている日は、ブログに書く内容がなくなります。わたしは、結局、一つのことしか考えられない人間なので、例えば、この日何らかの研修に出かけてきたとか、授業があったとか、そういう出来事があるときはそのふり返り的にブログに文章を残せるのですが、今日のように、研究室に1日中いるような日はなかなか書き残せません。

研究室での出来事(やっていたこと、考えたこと)を書けばいいのですが、それは……(^0^;)、ねぇ。いろいろと悶々と取り組んでいることで、ここにかけるようなことではありませんから。

まぁ、逆を言えば、研究室に1日こもっているときに書く内容がないということは、それだけ、ちゃんと集中して仕事をしていたと言うことになりますでしょうか。

今日は、自分で言うのも何ですが、研究室で一つのことに向かって粛々と取り組んでおりました。わたしの中で、期限を決めていまして、日曜日までにこの仕事の決着をつけるという考えでいます。

さて、その通りに実現できるか。明日、金曜日に取り組む姿勢で結果が変わっていきそうです。

さあ、集中集中!


20160928 現場の推進力

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2日前の投稿(20160926)で、もしかしたら勘違いされるかも……と思ったので、書き加えておきます。

何度か訪れている学校で、
「訪れるたびに、授業がよくなり、先生方がアクティブな授業に積極的に取り組んでいる」
というような書き方をしました。

これ、読みようによっては、わたしがすごい人間のように読めてしまいます。
つまり、「阿部が、その学校に行き、なんだか知らないが適切な助言か、指導を行い、それに基づいた先生方がものすごい勢いでアクティブな授業を展開している」と。

ちなみに、これ、わたしの「力」と何の関係もありません。

もし、一つだけあげるとしたら、研修主任の先生の奮闘でしょう。前任校で『学び合い』授業に衝撃を受け、強烈な体験をされたここの研修主任の先生は、自分の中で『学び合い』授業を模索し、自分のスタイルを確立させます(もちろん、まだまだ発展途中とは思います)。
その感覚と自信の元、(多少はわたしの存在もあったかもしれませんが)全校の先生へ上手に働きかけて、学校全体をアクティブな授業中心に展開していくように仕向けて行っています。

すごいなぁ。
こういう先生の共通点って、積極的でもあるんですけど、ものすごく、他の先生方に対して受容的なんですよね。聴く耳を持っていらっしゃる。

めっちゃ尊敬しちゃいます。

20160927 新しい試みをしようとしたのだが……(^0^;)

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本日は富山。
なんと、わたしが大学の教員になって初めてお招きしてくださった学校に再度行ってきました。つまり、同じ年に二度、わたしを招いてくださったと言うことです。

なんだかね。それだけでも、感激ですよね。お金を使うんでしたら、いろんな方のお話を聞いた方がいいと思うじゃないですか。にもかかわらず、わたしをもう一度……などと。
初めて訪れたことに加えて、ずっとずっとわたしの心に残ります。

ここにいらっしゃる方は、春に訪れたときもそうでしたが、とにかく、話を聞いてくださる姿勢がみなさんすてきです。なんというのでしょうか。全員が全員、わたしなんかの話を一言漏らさず聞こうという姿勢が前に立っていてビンビンつたわってくるのです。

少しでも、みなさんの役に立たなければ……という気持ちで臨みました。

とはいっても……ちょっと、(というか、だいぶ)反省です。
二度目と言うことで、新しい試みをしようと思っていました。
つまり、一度目のように、わたしの考えていることをあくせく伝えることはなく、もう少しゆったりとしながら、参加される方々の「思考時間」「創作時間」を増やし、それが明日への授業につながるように……と思ったのです。

が……(;゜ロ゜)。

アクティビティ貧乏というのでしょうか。与えられた90分をめいっぱいみなさんに味わってもらおうと、あれもこれもと、詰め込みすぎてしまいました。

なんだかなぁ……、もし、時間が余ったらという、「空白の時間」が怖いのかな。

この「空白の時間」はできたらできたで、「ふり返りの時間」なり「質疑応答の時間」なりにして、もっとゆったりと時間構成をすればいいのに……と思うのですがね。

せっかくの一期一会、参加者の方に、たくさんのお土産をと思うが故の……ですね。もうちょっと、考えます。今日も、たくさんの学びになりました。参加してくださった皆さん、ありがとうございました。

明日からは、しばらくの間、研究室でいろいろと仕事できるかな。
よし、たまっていた文章を書きまくります。


20160926 現場の先生方はがんばっている!

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今日は1日、新潟の小学校にいました。

3,4、5校時の算数の授業を参観。そして、放課後、事後検討会。最後に、講話。

何度か訪問させていただいている学校です。

訪問するたびに、学校が、先生が、そして、子どもたちが「生き生きと」「アクティブ」に変化していく姿を見ることができるのは、なんていうのでしょうか。関わっている人間にとってとっても嬉しいことです。
それだけで、感激!もう、先生達を応援してしまうと言うか、「すごいすごい!」と思ってしまう私。

先生方は、授業をアクティブにするということを「心から望んで」なのか「しぶしぶ」なのか、そのあたりはしっかりそこまで一人一人インタビューをしていないから正直なところ分からないところではありますが、とにかく、本日見た3つの授業とも、子どもたちが素敵に関わりながら、学んでいました。

これって、すごいことですよね。この学校の先生方にも話してきたのですが、「アクティブな授業」を考えたとしても、目の前の子どもたちの姿を見ると、怖くて(つまり、どんな動きをしてしまうのかわからなくて、恐ろしくて)子どもたちをコントロールする手綱を緩めることができない先生や学校ってたくさんあると思うのです。それが、すんなりとできてしまうところにすごさを感じます。

先生方は、攻めの姿勢に出ていて、この状態でも満足していません。もっともっと子どもたちが「主体的に学ぶとは」というところを考えています。すごいです。また、11月に訪問予定です。楽しみです。

私個人としては、ちょっとしたポカをやらかしてしまいました。

今回のわたしの役割は、授業検討会の中に入り、そこかしこで、ちょこちょこちょこっと発現すればよいだけだと思っていたのですすが、40分のまとまった講話の時間を確保していたということ……(^0^;)。事前にいただいたプリントにしっかりと書いてあるにもかかわらず、そこを読み飛ばしておりました。

ガーン(^0^;)。みなさんご存じの通り、わたしは、全然アドリブができない人間。しかも、つまんない話しかできないので、いつも、プレゼンソフトで作成したスライドを見せながら、お茶を濁す人間です。
作成していないために、そこに逃げることもできない……(;゜ロ゜)。

困りました……非常に困りました。

とにかく、3つの授業を見ながら、先生方の課題をピックアップして、そこをフォローするための話を必死に組み立てるわたし……。
しどろもどろで、話を終えました。
そんなで、話を10分ほどオーバー。
うーん、ダメダメです。
おもいっきり反省。

明日は、富山。
がんばれるか?自分?


20160925 まっすぐに生きる、そして他者に貢献する喜び

そろそろ、小説へ現実逃避するのをやめにして、学術系、教育系の本にどっぷり浸らねばならないと思う今日この頃です。

しかし、せっかくだから、小説系のメモメモ。

ちょっと、逃げが入って、隙間時間(例えば、新幹線の移動時間等)に教育とは全く関係のない本を読みあさってました。(これが、わたしなりのほんのちょっとの贅沢)

ロードバイクを題材にした近藤史恵さん作の「サクリファイス」シリーズ。
そこから、マンガ「弱虫ベダル」そして、佐藤多佳子さん作の「一瞬の風になれ」

これら、(わたしの中では)ものすごく似通っています。

いずれも主人公が「青春」しているのですが、なんというのでしょう、「自分ばっかり」ではないんですよね。他者(仲間)のために、一生懸命なところです。ここに心打たれます。

ロードバイクの世界は初めて知ったのですが、団体戦では、「アシスト」という自分には絶対に光が当たらない役割をしつづける人もいるわけです。こういったところ……すごいなぁ。

どの作品にも、主人公もそうですけど、主人公以上に、自分以上に他者を応援する人たちが出てきます。この存在があってこその、「光(つまり、スター)」なんですよね。で、本当のスターというのは、その自分を支えてくれた人の存在をしっかり知っていて、その人達に感謝できる人なのだろうと思うわけです。

そういう意味での、自分の役割、つまり、良い意味での世間の歯車を確認し、自分が自分であるための、自分が世界に役立つための、動きをしていきたいと思う今日この頃でした。

スッキリ小説を読んでみたい方は、ぜひお薦め!



20160924 坂内先生&カリキュラム・マネジメント

坂内先生の話を聞いてきました。

坂内先生のお話を聞く中で、自分の歴史を思い出しました。

わたしが、本格的に『学び合い』の授業を始めることができるようになったのは、坂内先生の授業を見たことがきっかけです。

つまり、自分にとっての『学び合い』の理論的な背景は西川純先生であり、実践的な背景は坂内智之先生なのです。

『学び合い』そのものを知ったのは、聞いたのは、石川晋さんが福島にお招きした「授業づくりネットワーク2005夏in福島」での西川純先生のお話が最初です。その時に、これ、絶対にいい!と思ったわたしは、頭の中で勝手に思い描く自分の中の『学び合い』を実体化するために、わたしより先に『学び合い』の授業をしている先生の授業を見学したいと思っていました。

最初に、見学したのは埼玉の初期『学び合い』実践者の授業。東北青年塾のメンバーのお一人、増川さんと一緒に見に行きました。でもですね…。イメージがわかなかったのですよ。この方の授業はいいのかもしれないが、わたしが考える『学び合い』ではないなぁと思いました。(ちなみに、こういうときは、わたしは運動会や学習発表会の振替休日を使います。堂々と平日に他校の授業を見に行けるチャンスです。もちろん、学校を通して見学の依頼をします。ぜひ現場の皆さん、オススメです)

福島に帰ったわたしは、もんもんと自分なりの『学び合い』をしていくのですが…ここで、わたしに光明を与えてくださったのが坂内先生です。坂内先生は、自分の勤務校で『学び合い』を全面展開されていました。すぐに連絡をし、お願いして授業の見学。まぁーびっくり!わたしが頭の中にうまくイメージできなかった『学び合い』を具現化されていました。あっこれだ!そう思ったわたしは、初めてお目にかかったにもかかわらず、自分の頭の中に思い浮かぶばかりの質問を投げかけ続けました。それを一つ一つ、丁寧に答えにして返してくださいました。

今日の、「学びのカリキュラム・マネジメント講座」でも感じたのですが、坂内先生は本当に丁寧に、かつ、迅速に頭の中で計算して質問に答えてくださいます。だから、質問が次から次へと浮かび上がると同時に、質問を続けることで頭がシャープになっていくのです。本当に、すごい方です。福島にいらっしゃること、嬉しく思います。

わたしは、その後、自分の勤務校に帰って、管理職に話します。坂内先生の勤めている学校で公開授業があり、かつ、西川純先生を講師でお招きしています。ぜひ、全校の先生で観に言った方がいいですと。

その時の校長先生が、とても、先見性のある、受容的な方で、そういうなら、全員の先生で見に行こうと即決してくださいました。そして、勤務校全員で坂内先生がいらっしゃる学校へ見に行くことになるわけです。

考えてみれば、わたしが本格的に『学び合い』を進め始めたのは、坂内先生がきっかけでした。

今日、久しぶりに、坂内先生のお話を伺い、あの頃のことがふつふつと思い浮かびました。今日の、講座も、ものすごかった。説得力、ありありです。どんどん前に進む坂内先生。わたしも、わたしのやり方で、立ち位置で、進めていきたいです。


20160923 岩瀬さん観察記

高橋尚幸さんの授業を見ることができるということで、岩瀬直樹さん(東京学芸大学)と訪れたわけですが、思わず、岩瀬さんの低学年、中学年に向けたプロジェクト・アドベンチャーをモチーフにした授業を参観し、放課後、教職員に向けた校内研修の時間も一緒に体験させてもらうことができました。これは、高橋尚幸学級参観に加えてのめちゃくちゃ美味しいオプションでした。

もちろん、その合間合間に、岩瀬さんと様々な情報交換できたことも大きいです。

わたしは、自分から壁を使ってしまうから(だと思うのですが)、メールでのやりとり、一瞬でのやりとりで、ちょこちょこちょこっと軽い挨拶をしておきながら、実はじっくりお話をしていない方、お箸できていない方が実はたくさんいます。

岩瀬さんもそのお一人。ずっとずっと前からの知り合いだったのに(自分が授業づくりネットワークなどに深く関わる前から岩瀬さんとは知り合いでした)、「知り合い」というだけで、あまり深く語り合ったことはないのです。じっくり話したのは、今年の7月。横浜の永田台小学校の校内研修に一緒に参加したときでしょうか。

で、今回。

岩瀬さんには、失礼かもしれないし、ムッとされるかもしれませんが、改めて、じぶんのかんかくと岩瀬さんの感覚が随分と重なっていることに驚きました。と同時に、めちゃくちゃうれしく思いました。

まぁ、器のできは違うのかもしれません。岩瀬さんがマイセンのコーヒーカップだとして、わたしは100円ショップで売られているコーヒーカップかもしれませんが、どちらもコーヒーを飲むのに使うものというところでは同じ、そんな感じでの共通点です。

授業での子どもたちへの接し方、語り口調、進め方。そして、校内研修での構成の仕方、メッセージ、アクティビティ。めちゃくちゃ似てるんですよね。ふふふって感じです。

もちろん、わたしに足りないところあるし、目指すところ、考えていく方向性は微妙に異なるものはあるのでしょう。それを見つけ、学び取ると同時に、わたしの独自も探していきます。

しかし、めちゃくちゃにシンクロしているところが自分にはとてもとても面白かったです。心地よかったです。

20160922 髙橋学級参観記

もう少し丁寧に、高橋尚幸学級参観を振り返っておこうと思います。

高橋尚幸さんと言えば、今や、『学び合い』実践者のトップランナー。教室でめちゃくちゃすごい「学び」を教室で展開しているのだろうと予想する人が多いことでしょう。

実際に見る外見は…、子どもたちがめあてに向かって黙々と取り組み、課題についてわからないことがあると近くの友達に尋ねて、「なるほどね」ということで進んでいく…、とっても自然で穏やかな授業の様子でした。

話に聞くと、昨年度とは随分子どもたちの様子が違うそうです。それは、高橋さんの取り組み方が違う部分も大いにあるでしょうが、それ以上に、子どもたち集団の違いによるものです。

この状態を見ると、全国の『学び合い』初心者、そして、勘違い者は、『学び合い』を随分と誤解している人が多いのだろうなと思います。

この「学び合い」という名称による誤解です。この名前があるために、どうにかして子ども同士を「かかわらせなくちゃいけない」(つまり、「学び合わせる」)ことに一生懸命になるわけです。

違うんですよねえ。

「学び」ってひとりぼっちのものではありませんよ。一緒に学んで「も」いいんですよ。一人でもんもんと悩んでいたっていつまで前に進まないことってあるでしょ。だったら、友達に聞いちゃおうよ。相談しちゃおうよ。しゃべっちゃおうよ。

なんですよね。高橋学級を見て、めちゃくちゃその感覚を呼び起こすことができました。

だから、目の前の学級の状況があって、そこについての対応があるわけです。

例えば、今まで「学習の中」で集団が分断されていて、個での学び(または、教師と子ども、一対一の学び)だけで行ってきた子どもたちにとって、授業中に好きなタイミングで好きなように友達に話しかけることは今まで禁止されてきて、ありえない状態だったかもしれません。そういう体験的な学びをしてきた子どもたちに対しては、「関わること」を若干強く意識した「学び」の仕組みづくりを働きかけを初期にはしなければならないかもしれません。しかし、それは、子どもたちが主体的に学んでいくことの最初の一歩なのです。いつまでも、協同学習の技法、ラウンドロビンとか、ラリーロビンとか、いろいろと技法を知ったからといってそれを使い続けていることの虚しさを感じるべきです。結局は、それはいつでも自分(指導者の)思いのままに学び合わせている(関わらせている)だけなのですから。

例えば、「個のまなび」の大切さ、心地よさを知らずに、「集団にまぎれる」ことだけを選んできた子どもたちに対して、集団で関わりながらも、同質性、均一性に染まらずに、同調圧力に屈せずに、個を中心とした集団の学びの心地よさを、感覚を味わってもらうことが大切です。

そんなことを、言葉で伝えただけではしかたありません。そういうことを言葉で伝えることは大切です。そして、その言葉を実現するための環境を整えて、日常的に展開することです。「学び」は日常的なものであり、イベントではありません。もちろん、イベント的なものもあってはいいと思います。それは、日常の中に祭りがあり、そういう節があって、生活がうまく進んでいくのと同じです。当たり前ですが、日常と非日常(祭りや旅行、キャンプのようなもの)は時間的な割合を見ると均等ではありません。圧倒的に日常が多いです。だから、わたしのような外部の人間が訪れて、非日常を経験するのも、その節々では大切かもしれませんが、そこから、いかに日常を展開していくかということを考えていく必要があります。

今まで、学校教育は、日常の中で非日常ばかりを考えてきた経緯があります。日常という当たり前をいかに過ごすか。その発展的なものに非日常があるのだということを知っていきたいです。

高橋学級に戻ります。

尚幸さんは、丁寧に日常を紡いでいました。子どもたちは穏やかに次のこと、次のことへと進んでいきます。もちろん、尚幸さんの大きな指示はありません。

それを支えているのは、4月当初の授業の進み方を尚幸さんと子どもたちとでいかに構成していったかということに関係していくのでしょうが、それに加えて、教科ごとの単元表(尚幸さんはこれをなんと呼んでいるのか聞きませんでしたが)によるものでしょう。

この学習スタイルを考えるに、子どもたちの学びの方向、質が変わる、または、変えていくとしたら、この単元表をいかに作成するかというところに焦点が行くかなぁということなのだと思います。

  • 4月の授業開き、学級開き時点での子どもたちへの言葉かけ、環境づくり
  • 単元表の構成
  • 授業開始時の教師の語り
  • 子どもたちが学び合っている時の、教師の声かけ(可視化になるときもならないときもある)

このあたりかなぁ。ポイントは。

今、『学び合い』と「きっちりした授業」との境目で進めている学校や学級は、たぶん、1時間に1つの「課題」または「めあて」があって、1時間でどうにかしようと躍起になっていると思うのです。でも、たぶん、それでは『学び合い』を実現しようとしてはいても、前面に教師が出てコントロールをきたさないとうまく進まない場面がいくつもでてきます。

単元で進めるようになると、次段階です。

そして、それを横断的にできたら、もっともっと先に行くのでしょう。文科省が出してきた「カリキュラム・マネジメント」という言葉をうまく使って展開できる公立の学校(または学級)がいつ現れるか。

そこが楽しみです。

尚幸学級の「この次」がめちゃくちゃ楽しみです。

20160921 今を、将来を、しっかり見据えて!

(わたしにとって)久しぶりという感じの大学。

「長野(塩尻)→仙台→大阪→福島(相馬)→上越」という行程。そして、明日から「東京→上越→福島→新潟市→富山県」という行程。

うーん、自分では計画的に行っているつもりが、そこに飛び込みが入ってくると、予定がメチャクチャになる。

とはいっても、それぞれに、自分が「訪ねたいところ」であり「訪ねたい理由」があり「訪ねるべき」ところである。

ただ、外見でおわかりの通り、わたしは、心も体も頭も「体力」がないので、ぐったりとすぐに疲れます。大学でボウッと過ごしてしまいした。今日、誰にも(内容は)言えないけど、ものすごく大きなミスをするところでした。寸前で止めた……ホッ。

もうちょっと、ちゃんと考えよう。

自分ができること、得意なこと、好きなことと求められることがピタリ合致しますように……と。

もう、寝ますわ。

やらなければならないことが進んでいない……(^0^;)。


20160920 授業観の転換を!

今日は、福島県内での『学び合い』実践家、高橋尚幸さんのところへ行ってきました。

そこには、なんと、岩瀬直樹(東京学芸大学)先生もいらっしゃるという、スペシャルな時間。

高橋尚幸学級の『学び合い』の授業を関学もでき、岩瀬さんのPAの授業(低学年と、中学年)の授業を2本見て、最後に、岩瀬さんの職員研修の講座にも参加(&見学)。なんと、贅沢な1日だったのでしょう。

現場から、離れ、日々、現場感覚を失っていくわたしにとって、こうした「上質な」「先端の」現場に触れ続けることは自分の感覚を失わないようにするためにも大切です。

このお二人から感じたのは、やっぱり「日常」の大切さ。

そして、日々の教育活動をそこの「文化」にすること。派手な飛び込み授業で、その瞬間、子どもたちが変わったように見えても、それは、見えただけです(もちろん、そういう世界を知らない子どもたちにとって、あえて触れる機会を設けるということは大切かもしれません。しかし、そこから先がとてもとても大切)。

で、「文化」にしていく過程、なっていく過程って、とてもとても泥臭いことなんだと思います。

この泥臭さを、毎日続けていくためには、孤独ではなかなか難しいですよね。だからこそ、「泥くらいもの」であることを共有し、「泥臭さ」をはき出す空間も確保し、一緒に前に進める環境が大切になるわけです。その「場」が必要だし、大切だし、そこに力を入れていく必要があるんですよね。

どの現場に入ってもそうなんですが、こういうことがやりやすいのって、まず管理職がしっかりと理解してくださっていること、受容してくださっていることで、エンジンに拍車がかかります。今日、訪れたところも、すごくすてきな管理職の方でした。

p.s.
そうそう。
岩瀬さんからお聞きしたのですが、わたしが関わった学校で『学び合い』をはじめたそうです。先日、授業公開をし、なんと、(ここがすごい、そして、おもしろいところだと思うのですが)同学年3学級で『学び合い』授業をしたそうなんですけど、全て異なる『学び合い』授業のプランを考えて実行したそうです。
フフフ。いいなぁ。あっ、これ、異なっているからと言って別にケンカしているわけじゃないですよ。こういう異なりながら、つながっていけるというところ、すごいです。インターナショナルな考え方ですよね。
拍手を送りたいです。「揃えること」をしない。「揃ってなくていい」ということです。学級が、教師が、子どもたち個々人が異なるんですから、異なっていて当たり前!

ゴーゴー!!

20160919 揃える、同質性、同調圧力

「東北青年塾10周年記念集会」や「授業づくりネットワーク合宿&総会」で、共通の話題になったのが「揃える」ということでした。

複数学年で、何かやりたいこと、特徴的なことをやろうとしても、「横一線に揃える」ということを強いられるということ。

これ、つらいですよね。

「揃える」ことを主張する方は、「正論」だったり「(自己)防衛」だったりするのだろうけど、それでは「個別化」「協同化」などは夢のまた夢になります。

「多様性」という考えからからも、やっぱり、よりよくないでしょう。

「選択できる」ということは、民主主義の基本ですよね。学校は「強制装置」なので、「民主主義」といっても、全てをその原理でとおすことはできないかもしれません。それを知りつつも、いかに、(民主主義ごっこでもいいから)「民主主義」の考え方でシステムをつくっていくかということが大切のように思います。


20160919 授業づくりネットワーク2016合宿

「授業づくりネットワーク」のいろいろなことを話し合うために、久しぶりに授業づくりネットワーク理事のみなさんと合宿。そして総会。

ここ数年、雑誌をリニューアルしてから、NPO法人「授業づくりネットワーク」の組織としての活動が、少し止まっている感じになっているので、それらを含めた話し合い。

前進したんだか、どうだか……。まぁ、久しぶりにみなさんとお目にかかってお話しできたことは、自分の「気持ち」をプラスに持って行くにはよかったことには違いない。

石川晋さん(理事長)の話が止まらなくて、明け方4時過ぎまでみんなで話し込んでしまったのが……どうだったのだろう。良かったのか悪かったのか。石川さんにしてやられたという感じ(^0^;)。

糸井登さんに、「授業づくりネットワーク2012夏in旭川」以来久しぶりにお目にかかれたのは嬉しかった。じっくりと話し込む。自己開示して、話ができる友人の少ないわたしにとって、数少ない自己開示できる友人(といいますか、偉大なる先輩)のお一人です。
毎年お目にかかれるわけでなく、数年に一度お目にかかれるかという感じなのですが、わたしの人生に大きく影響を与えてくださった方であり、今後も、自分が悩んだときに方向性をお伺いしたいと思う方。
本当に、素晴らしい方です。
わたしの、生き方、考え方の方向に向きながらも、わたしでは絶対に考えつかないであろう、アイデアや実行力があって、いつも感服するだけ。

日帰り温泉に、みんなでお風呂に行ったところ、なんと金大竜さんがトコトコと。ここのご近所にお住まいだそうな。おもしろいなぁ。金さんも、びっくりしただろうけど、もちろんわたしたちもビックリ。狙ったわけじゃないからね。

わたし自身は、金さんとは少しお話しできる程度の仲。
もうちょっと、お近づきになりたいと思いつつも、なかなか機会がない。
10月に金さんは福島に来られるようだけど、わたしはその時、福島にいないんですよね……。残念。
またの機会を。

さて、わたしは……。

自分が興味あることと、世の中が求めていることの重なりを見つけて、底に向かって進んでいきたいと思う。人生は短い。やりたいことをしなくちゃ。でも、それが世の中の前に進むところに重なるようにね。

そして、あれもこれも、手を付けない。
あれもこれもの気持ちを持っている自分だけど、そんなに起用ではない。
粛々と。

20160917 【感想】東北青年塾10周年

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東北青年塾10周年記念イベントを終えました。

10年もやってきたんですね。東北青年塾。
10年もやると、(国民的アイドルグループではありませんが)結成当初の気持ちは薄れ、その時のメンバーも少しずつ減り、新たなメンバーが加わり、「東北青年塾」という名称はありつつも、性格が少しずつ変化してきています。

わたしも、この10年の間、青年塾代表を武田さんに譲ったり、小学校教員から大学教員へと立場、環境が変わったりしています。

久しぶりに、東北青年塾に参加して、かつ、自分も30分の提案を行うにあたり、自分の「心」を素直に感じてみようと素のままで参加する心構えで参加しました。

さて、特に、今回は参加者がほぼ東北青年塾メンバーだったからでしょう。本当に、気持ちよく、自然体で、マイホームで参加できました。
東北青年塾の場合、(かつての授業づくりネットワークもそうでしたが)講座そのものよりも、その後の、質疑応答や意見交換が中心で、忌憚ない意見をバシバシと交流できます。わたしも、毒舌的に話をしてくるのですが、東北青年塾のメンバーはこれが「阿部」だと思ってる方がいるかもしれませんが、こんなドシドシ言えるのはこの東北青年塾だけ。
他の、会合やイベントでは、わたしはこんなにドシドシ意見を言わないし、言えません。
これだけでも、あっ、やっぱり、東北青年塾は自分の思考を深めてくれる場所なのだと感じました。
やっぱり、大切です。

さて、自分の30分の講座。
7月に、永田台小学校で3年生に行った授業を東北青年塾参加者対象にやってみました。
結果は……大失敗でした(^0^;)。
永田台小学校では、それなりに子どもたちの活動が見られ、個々の学びが見て取れたんですけどね……。

大人だから、こういう「動き」をしたということもあるでしょうが、この授業には重大な欠陥があることに気付きました。
「個あっての集団」ではなく「集団あっての個」という形で構成してしまっていることですね。個々人がしっかり考えなければ、動かなければ、めあてが達成できないという形にしないと「誰かに任せればいいや」「誰かやってくれ」ということになってしまうわけですね。
わかっているはずなのに、抜け落ちてしまいました。
こうした、失敗を堂々とできるのも、東北青年塾のよさです。
失敗から学べることって、たくさんありますからね。

次は、12月。忘年会を兼ねた、秋保温泉「蘭亭」での東北青年塾。
夜通し、話ができるかと思うと、楽しみです。

東北青年塾から、考えること、まだまだたくさんあることがわかりました。


20160916 表情

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上越教育大学教職大学院と長野県総合教育センター合同企画の「長野講座」を終えました。

みなさん、すごく積極的に参加されていて、ある方は研究授業を控えていて「今日学んだことを研究授業に生かす(使う)つもりです」と笑顔でわたしをびびらせてくださいました。

わたしも、51歳になり、こうした講座に参加する方の多くが自分よりも随分年下の方になります。

こういう、初めての場所に立つとき、小心者でびびり屋の自分が気になるのは、年長者、つまりベテランです。特にベテランの男性です。

ブスッとした表情でずっと座っている方がいないか、とてもとても気になるのです。

気の合う教育実践者と雑談で話したことがあります。

ベテランの男性は、一般的傾向として、
「表情が硬く(つまり、喜怒哀楽を示さず)、固まった表情で1日を過ごすことが多い。その結果、子どもたちがどんどん離れていくことが多いのではないか」

女性の場合、滅多に表情が硬い方にお目にかかったことはありません。女性同士、ニコニコ、ガヤガヤ過ごしているからでしょうか。だから、子どもたち、少しくらい小言をいう(俗に言う)おばちゃん先生であっても、子どもたちは近づいてきます。

昨日は、ベテランの男性教師も何名か参加されていましたが、みなさん、表情豊かで、かつ、穏やかでした。ここにいらっしゃるみなさんは大丈夫だなぁと思って、わたしも穏やかにみなさんの活動を見ていました。

ベテラン男性教師のみなさん。
表情は、大丈夫ですか?
固まっていませんか?
朝、鏡を見て、両手でほっぺたをぺしゃんと叩いて、ぐにゅぐにゅぐにゅ〜って回して、顔の筋肉を緩める運動をしましょう!

あの、ユーモア教育として名を馳せた、有田和正先生も、自分のつまらなさをどうにかしようと、笑顔をつくる練習を欠かさなかったという話はそれなりに有名と思います。

20160915 できない理由を考えるより、できる可能性を考える。

なんだか、自分自身、過大評価されていて、それはそれで結構なんですけど、なんだか申し訳ないなぁと思って、ちょっと後ろ向きなことを言ったとき、

「なんだか、できない言い訳を考えているね」

と言われました。たしかに……。それは、たしかにそうなんですよね。言い訳できません。

「できない理由を、うじうじいろいろと考えて口に出すんだったらさ、それをできるようにいろいろと画策した方がいいんじゃない。」

うん、たしかにそう。そうなんです。

ちょっと、大げさすぎるかもしれませんが、「覚悟」なんでしょうね。わたし、「覚悟」したことってないからなぁ。

人の前に立って、話をするとき、他の方々と比べると、圧倒的に弱いのが、「分析」です。これは、自分が学校現場にいたときからずっとそうでして。いいなぁと思う実践、面白いと思ってもらえそうな実践、いろいろと行ってきたかもしれませんが、それらはほとんど「やりっぱなし」です。

データの蓄積もなければ、(だからこそですけど)それに基づく分析、ふり返りもなし……。

これって、「研究的」に物事を進める立場になったとき(って今ですけど……(^0^;))、めちゃくちゃつらいですね。何の説得力も持たないですから。

みなさん、データ(記録)はしっかりとりましょう。
できれば、分析の方法を知りましょう。
わたしのようにならないために……。

20160914 自信

教育雑誌に原稿を書かせてもらい始めた頃、めちゃくちゃ生意気でした。

原稿を書きながら、
「おれって、こんなにすごい実践してんだぜ!へへ〜ん!」
という感じ。

今思うと、よくそんなこと思えたなぁ、よくこんなこと書けたなぁ、というのばかりです。

今も、うれしいことに、ポツポツと雑誌その他から原稿依頼が届きます。でも、なんだか、20年前の若かりし自分と違い、文章を書く手が重いです。こんな稚拙な文章を書いていていいのか?と声をかける自分がいます。

歳を重ねるごとに、なんだか自分の文章の進化のなさに恥ずかしくなり、実践の薄っぺらさにガクッと来るわけです。(実際、頭が硬くなった、働くなくなったというのも確実にあると思います)

まさに、「無知の知」みたいなね。

今の立ち位置を見つめなくちゃね。

20160913 小心者

「テロリストのパラソル」で有名な藤原伊織さんの本を連続して読んだことの影響が強いと思いますが、自分の「小心者」の部分をどうにかできないものかと考えています。

藤原伊織さんの本の主人公は、その多くが、生活にだらしなく、酒に溺れて、何かあるとカッとして暴力的になってしまって……みたいな、感じに描かれていますが、それでいて(実際に、そういう人がいるのかは分かりませんが)「仕事ができて」「決断力」があり、たいして自信や根拠がないにもかかわらず、堂々としているといいますか、肝が据わっているわけです。

うらやましいなぁって、思います。

本で描かれているのはフィクションだと思い、現実にそういう肝が据わっている人っているのかなぁと思いつつ、どうも自分はヨワヨワです。

もうちょっとなぁ……強い心がほしい。

それって、気質なのかなぁ。
それとも、努力でなんとかなるものなのかなぁ。

努力だとして、結局、自分は怠け者だからなぁ。
どうしようもないか……。


20160912 あれれいつのまにか1日遅れ

あれ?
なぜか、1日ホームページの更新が遅れています。

どうにか、つめなければ。
といいつつ、今日は、ちょっと……。

これくらいしか書けません。
頭が目が、がんがんきます。
(あっ、病気とかじゃないからご安心を)

ふ〜。

20160911 ちょっと心境に変化が

ここ数日、ずっとパソコンとにらめっこ、頭の中の記憶と格闘しているからなのかどうか。

ちょっと、心が内向きになっています。

自分がここにいる意味。ここでやれること、やれないこと。

自分は一体何をしたいのかということ。

やりたいこととやることができることは一致しているのかということ。

ちゃんと、今でも「行動」のエネルギーは存在しているのかということ。

新たなつながりを大切に発展していこうと考えているのかということ。

一緒に、新しいことを楽しみながらやってくれる仲間がいるのだろうかということ。


そして、今のわたしの感覚は、世の中からどの程度ずれているのか、それともマッチしているのかということ。


20160910 ライフワークバランスが大切だよね(半分、言い訳……(^0^;))

本日、土曜日も楽しく大学。
この土日は、少しでも執筆を進めよう!っと思っていますのだ……。

でもですねぇ。
自分の能力の限界を感じる今日この頃。

ちょっと行き詰まると、すぐに脇道に逸れてしまうのよ。
なんだか、最近の読書量がものすごいのね(あっ、いずれも教育関係書ではないんです。これが)。
逃げてるなぁ。

いやぁ、ライフワークバランスなんですよ。たぶん。
教育とは関係ない本を読むことで、なんとかバランスを保っているのです……(^0^;)。はい。

現行の法は現在、だいたい50ページを書きました。(質は担保できない……)
来週中に70ページ書く。
うん、大丈夫……な、はず。
でも、ここからがより苦痛の日々が……。

ということで、もんもんしながら、なぜか、こちらは喜々として読んでしまった本を下に紹介。
この中では「サクリファイス」が超オススメです。

わたしの感想を知りたい方は、それぞれの「阿部隆幸(あべたか)のバインダーで詳細を見る」をクリックしてくださいませ。


犬身
松浦 理英子
朝日新聞社 ( 2007-10-05 )
ISBN: 9784022503350


20160909 久しぶりに院生(ほぼ)全員が集まった

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今日は、第1回目の「全体リフレクション」の日。

上越教育大学教職大学院では、学校支援プロジェクトという形で、ゼミごとに(そこからまたいくつかのチームに別れて)上越市中心の学校に入り、サポートをします。どのような感じでサポートをしていくのか、または、しているのかを(基本は)1枚のポスターに表してセッションをするのです。

久しぶりに、院生のほぼ全員が集まったのでものすごい人数(100人は越えていたのですよね)でした。

なんだか、情けないことに、わたしは「教職大学院」の大きなイベントや行事になぜか今年は自分の出張に当たることが多く、実際、初めてです。こんな「空気感」は。

ゼミ生を持たないからだと思うのですけど、わたし、まだまだ、学生のパワーになじめていなくて、どぎまぎしちゃうと言うか下を向いてドキドキしちゃいます。

ダメだなぁ。自分。

どのポスターも、自分たちはこういうことを行うことで、関わっている学校に貢献したい!という気持ちがものすごく伝わってきて、いい感じでした。

うちの教職大学院は、学生さん達が文字通り「共に学ぶ」を体験することができて、本当にいいところだと思います。「チーム」「仲間」「協同」のよさを言葉だけでなくて「実感」して、2年後(または1年後)自分がいるべきフィールドに戻っていけるって、何と幸せなことでしょう。

このブログを読んでいる、教職大学院に興味を持っているみなさん。
ぜひ、上越へどうぞ。
お待ちしております。


20160908 「よい授業」についての会話

授業の話って、とっても難しいですよね。

例えば、ある授業を何人かの先生と参観していたとします。
授業が終わって、隣の先生と目が合ったとき、
「いい授業でしたね」
に対して
「はい。いい授業でしたよね」
という応えをしたとして、このお二人は同じ所を同じようにいいと言っているのだろうか?
ということです。

この「いい授業」って、人によってずいぶん違うと思うんですよね。
だから、まずは話をしているとき「いい授業」というのを自分は、相手はどういうことを考えていて、その中で、この「いい授業」の「いい」ってどこを行っているのだろうかと言うことを話していかないと、なんだか、互いに自分勝手な想像をして、自分勝手な言葉遊びをして、互いに自分の中での理解で終わってしまう……ように思うわけです。

それでね、もし、双方の「いい授業」観が違ったとするじゃん。
それは、それで、この授業を見て、その授業を媒介して、互いの「いい授業」観が異なるのだということがわかったというだけで、随分、いいことなのかなと思うわけですね。

そうなると、今度は、「授業づくり」をするとき、簡単。
互いの「いい授業」のすりあわせをしなくて済むから。

目的や、目指す姿を共有しやすくなるんじゃないかなぁ。

わたし、同僚や学生さんとかもかな。
授業づくりを話すとき、ここがめちゃくちゃ気になるんです。

私の中で「こういう授業を!」という部分はあるんですけど、自分が授業をするとき、自分がよいと思っている授業をその方に勧めようとは思わないんですね。基本。わたしは。
それではなくて、その人がよいと思っている授業をどのように実現するかといういうことに腐心するんです。
だって、その人の授業なんだから、その人のやりたいようにしてあげたいし、と思うわけ。

で、なかなか難しいのが、わたしがよいと思っている授業では無いことをその人がやろうとしていて、その人の授業づくりを手伝うときですね。
これ、なかなかモチベーション下がるんです。だって、わたしはよいと思っていないんですから……(^0^;)。
「だったら、言えば?」
ということになりますが……。
まぁ、やんわりと言うときはあります。
でもね……。

もちろん、どんな授業でもその影響が一番大きいのは子どもたちなので、子どもたちのことを考えての発言はしますけどね。
難しいです。

これは、いくつか考えがあって。

自分のことを言えば。
自分が今、「よい」と思っている考えや方法は、もしかしたらよいものではないかもしれない。だから、自分はともかく、相手にそれを押しつけるのはどうなんだろうか……。ということです。

相手のことを言えば。
もし、わたしが考えていることが正しいとして。相手が、自分の意思で納得していないことを押しつけられたとしても、それをしっかりやろうとしないだろうし、もし、やっとしても表面上だし、すぐにやらなくなるだろうし。だったら、その人がやりたいと思うことを突き詰めた方がまだましなんじゃなかろうか……ということなんですね。

小心者のわたしが、小心でものを考えるから、こんな子面倒くさい感じになるのかな。



20160907 授業アドバイス

昨夜、21時過ぎ。
パソコン画面に向かい、鈍くなった頭を使いながら文字を打ち続けていると……。
コンコンと研究室のドアの音。
こんな時間に?
しかも、わたしにはまだ研究生がいない。
「失礼します」
『はい。どうぞ。』
見ると、いつも世話になっている先生のゼミ生2人が立ってました。
「ちょっと質問したいことがあってきました。」
『はい。何でしょう?』
「今、学校支援プロジェクトで授業をしていて、明日もその授業を続けて行うのですけど、どう進めようかなって悩んでいて……。ちょっと先生のアドバイスをいただけないかなと思ってきました。」

「学校支援プロジェクト」というのが上越教育大学教職大学院の特徴の一つです。各ゼミごとにチームで上越市内(以外もあるけど)の学校に長期的に入って支援を行うわけです。院生は、自分で課題を持ち、学校の課題解決に取り組むと同時に自分の研究にも関わらせてもらうような、互いにWin-Winの関係づくりの中で「学んで」いきます。

院生の思い、そして、そちらの学校の担任の先生の思いなどを伺いながら、わたしなりに誠意を込めて話をしました。
ただし、「こうしたらいいよ」「こうすべきだよ」ということは言わなかったんですよね。
院生達が、研究室を去ってから、果たしてこの対応は良かったのかどうか……。悩むわたしでした。
わたしが授業で何が楽しいかというのは、頭の中で自分の授業を構築できること、それを子どもと共に試すことができること。だから、命令調で「こうしなさい」と言われたくないと思うわけです。
ただ、これも人それぞれでしょうね。本当にわらを持つか向き持ちできたにもかかわらず、何の答えらしきものももらえなかったら、がっかりして帰るだろうし……。
もうちょっと、わたし自身、しっかりと考えていかなければなりません。

さて、翌日(つまり、今日)の夕方、昨夜の学生さん達がわざわざわたしの研究室へ来てくださいました。
こういうところがしっかりしているのが上越教育大学の学生のすごいところ。
「先生、昨日はありがとうございました。」
『いえいえ。なんだか、わたし自身、もやもやしていてね。お二人の役に立ったかどうか、逆にむしゃくしゃさせてしまったんじゃないかと思ってさ。』

話を聞くと、当たり前ですけど、うまくいったこと、うまくいかなかったこと、いろいろとあったみたいです。
でもね、それが当たり前。
で、その自分の中で「うまくいった」「うまくいかなかった」と言語化できる部分を大切にしてほしいんです。
実感し、納得し、前に進む。

自分は、今日、生産的なこと、何一つしていないけれども、学生さんの話を聞いただけで、自分も一つ前に進めたような気持ちになりました。

20160906 国民的アイドルグループ解散から思うこと

なんか、めちゃくちゃ時機を逸しているように思いますが、いつものようにモヤモヤをモヤモヤのまま書いてみます。(つまり、読んでも、モヤモヤのままです……(^0^;))

SMAPが解散を発表しました、まぁ、その理由、大人の事情も含めていろいろとあるのでしょうが、当たり前に考えてみて、何十年も同じメンバーが仲良く居続けることということ自体、ありえないことと思います。

わたしのメチャメチャ好きなバンドに、ローリングストーンズがありますが、あのバンドがあり続けているということがおかしいというか……。(といいましても、ここ十数年は解散していないと言うだけで、バンドの形をなしているのか……、メンバーと一緒にいないからこそ、続けられる形態なのかな)

人間というのは、根本的な性格的なもの(飽きやすいとか、短気とか、そういうこと)は変わらないかもしれませんが(といっても、これも変わることはあると思いますけど)、基本、長く生きていると、いろんな環境に身を置くと、様々な人と関わると、「志」とか「目指すもの」とか「興味関心」は変わるのが当たり前なわけで……、結成時、「夢」を共に共有したとしても、その途中で異なる道を歩み始めるのは当たり前と思います。

「授業づくりネットワーク」。教員になった頃、集会ごとに全国の実践家とお目にかかり、いろいろとお話をしたり、情報交換をしたりするのが楽しみでした。わたしは、「ここだ!」と思って軸足をここに置きっ放しにしていますが、ここに興味を持ち、近づいたかと思うと、離れていった方も(というかその方の方が)多数います。

それは、「提案する社会科」「東北青年塾」「『学び合い』」もそうでしょう。当たり前なんですよね。

「東北青年塾」は、参加型で運営することを謳っていて、毎年、年度末、来年も継続して東北青年塾で活動し続けるかどうかの意思確認を行っています。家庭環境や、向かう方向性が異なった方に、「別れ」を言いやすい状況をつくっているわけです。
共に活動していくと、思い出が共有されるわけで、一緒に目指すものが異なってきていても、なんだか離れがたくなることもありますよね。
「友人」ではあり続けても、「プロジェクトメンバー」ではなくなるということです。ここ、日本人的には(わたしもそうですが)なんだか、割り切りにくいです。

とはいっても、全国的に見ると、よいパートナー、グループに囲まれて生き生きと活動し続ける方がいるわけで……。

難しいですなぁ。
憧れますなぁ。
何か貯まったとき、心を開いて話ができる友が、仲間が。


20160905 教育実習挨拶

今日は、自分が割り当てられた教育実習校へ、大学の代表として挨拶へ行ってきました。

慣れてくれば自分の仕事の一つとして過ぎていくのでしょうけれど、「大学人」だからこそ経験する初めてのことなので、自分にとっては新鮮でした。

特に、順番で割り振られたのですけど、特別支援学校への挨拶でしたので、余計感じたのかもしれません。
「生」の力というか、意志というか、エネルギーというのを強く感じる場所の一つですよね。
学生がどのようにがんばっているか、そして、それと同様に現場に少しでも近づいていたくて、校内を少しゆっくりと時間をかけて見せていただきました。(もしかしたら、担当の先生は他の仕事があったにもかかわらずわたしを案内したが故に時間を取られてしまったかもしれません。終わってから、申し訳なかったかなぁと反省しました)

個別的に見ること、子どもたちにとって何がよいのかを考えて接すること

上の学年に進むに従って、コミュニケーション、そして、ソーシャルスキルを目的、手段としてどのように学校生活、授業の中に仕組んでいくかということ

将来の進路、キャリアをどのように考えていくかということ

そこに、現場があります。リアルがあります。
それを感じた私は何をするか……。


20160904 集会づくり&サークル活動(民間教育のこれから)

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3日の「上越教育大学教職大学院サテライト講座&縁太会」の余韻が激しくて(これ、決して二日酔いということじゃないと思うんだけど……(^0^;))、最近では珍しく「集会づくり」や「サークル活動」などの民間教育に関して、いろいろと考えていました。

わたしが、こうしていろいろと情報を発信できているのは、もとはといえば「授業づくりネットワーク」という民間教育団体(NPO法人)があったからです。
ここは、月刊雑誌も発行し、盛んなときには、「授業づくりネットワーク」という名前のついた集会を年に4回(つまり、春集会、夏集会、秋集会、冬集会)開いていました。月刊雑誌に加えて、増刊号という名称でいろいろな特集を組んだ本も発刊していたのですよね。

まぁ、それが過去、そして歴史と言えば、歴史として語られてしまうわけですけど……。

今、雑誌は年に4回の季刊誌になり、内容も教育関係のことが書いてあるのはもちろんですが、月刊誌の頃に比べると授業実践を紹介するスペースが少なくなっています(それは仕方ないことです)。
わたしは、(今もそうですが)授業づくりネットワークに原稿を掲載してもらうことで鍛えてもらいました。

もちろん、海の物とも山の物とも知らない方の原稿を掲載することは難しいです。ですので、その前に「サークル」などで「レポート検討」というものを行ったり、「授業づくりネットワーク」が産み出した「ストップモーション方式の授業検討」を行ったりして自主的に力を付けようとしました。

今、わたしなんかは、ワークショップ形式と銘打って、自分の講座を「参加型」という形で進めていますが、実は、参加型は参加型でも、「全てに環境設定」された言わば、「受け身」の「参加型」です。

本来であれば、レポートを持ち合う、授業映像を持ち合う、などでの「能動的」な「参加型」で力がついていくのだと思いたいです。

わたしたちが行っていた(はず)のこの「能動的」な「参加型」がうまく、引き継ぐことができなかったのはどうしてでしょうか。
「受け継ぐ」方の問題ももしかしたらあるのかもしれませんが、「引き継ぐ」側の年代として、そのあたりをちゃんとふり返らなくちゃいけないとも思っています。

9月半ばに、「授業づくりネットワーク」関係者で合宿を行います。
何が決まるのか、何も決まらないのか、
わたしにはわかりません(苦笑)。
でも、何らかの何か(それって何よ?笑)が出すことができたらいいなぁと思っています。

先日、書店に行って、教育書コーナーを傍観しました。
なんだか……、何が何だかわからない感じになってて……。
ちょっと、動きをつくりたいです。


20160903 サテライト講座仙台&縁太会終了!

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「上越教育大学教職大学院サテライト講座仙台&縁太会」を終えました。

諸々の面を、仙台の若手教員や教員志望の学生から絶対的に信頼されている鈴木優太さんにお世話になりました。
もともと、東北青年塾というのを仙台中心に約10年続けてきたので、まぁ、わたしのホームと言えば、ホームのはずなのですが、この鈴木優太さんを窓口にしたために、今回集まってくださった方は、ほとんどわたしの話を聞くのが初めての方ばかり。

もちろん、教職10年以上の方やその中には東北青年塾で顔をお見かけしている方もちらほらといらっしゃいましたが(感謝いたします)、多くは、20代、もしくは30代前半か、講師、そして教員志望の学生さんでした。

これは、「上越教育大学教職大学院サテライト講座」という面からも非常にうれしく、上越教育大学の教職大学院に興味を持ってもらえたらうれしいなぁと思いました。

さて、そんな感じだったので、わたしはとてもドキドキ。

とはいいつつも、ここに集まってくるということは、ほとんどの方が、この仙台の若手リーダー鈴木優太さんを慕ってくる方々であり、うれしいことに鈴木優太さんが「あべたかさんの話を聞いておいた方がいいよ!」と言ってくださった結果「自分が信頼する鈴木優太さんが進める人なのだから、初めて聞く名前だけど、まぁ、出てみるか」という感じで集まってくださったわけです。

そういう意味ではWeでした。

しかし、反面、鈴木優太さんの顔を汚すわけにはいきません。「さすが優太さん、優太さんの話を信頼してきてみて良かったわぁ……。」と言ってもらえるかどうかですね。

参加者の感想をすぐにまとめてくださり、Facebookにアップしてくださいました。まぁまぁの反応だったので、よしとしましょう。
これが、その方々の日常にどのように役立つかがポイントなのですよね。
少しでも役に立ちますように……。

最後に、2人だけ、わたしと関係の深い方の感想を載せます。
そういえば、いろいろと共に活動してきましたが、改めて「真面目な講座」をその方々の前で体験してもらう、見てもらうのは初めてでした。いつもの阿部ですと、それだけで、意識してしまってほにゃほにゃの講座になってしまいますが、このときは何て言うのでしょうね。集中していたのか、その方々がいても、しっかり進行できた感じでした。
もちろん、内容はね、もっといろいろと今後、いろいろと工夫していかなければならないとは思うのですけどね……。

あべたかモード全開で楽しい時間でした。青年塾以外の場で,阿部さんの話を聞いて,阿部さんが 『学び合い』を 100 %成立させることができる理由に改めて気付きました。『学び合い』は教師の考え方が大きく関係してくると思うのですが,阿部さんは「子供には力がある」「子供の方が力がある」と素直に心から思っていることと,「異質をさらりと認める」ことができるということがあると思うのです。異質をさらりと認めるというのは,自分はしないし,考えないことも,「それは違う」と抹消的にとらえるのではなく,「それはそれでいいんじゃない。自分はしないけど。」という共存ができること。その視点が,子供たちに豊かで安心した学びの場を提供できるのだろうと勝手に思いました。そして,「自分は有能だ」と思い力を誇示することが好きな教師には学び合いはできないのだろうと。「子供たちに驚く」ことができる教師が学び合いを推進していくのでしょう。

僕ら自身が納得いくまで学んだり,トライ&エラーできる時間や場,仲間との自由な学びが保証されている『学び合い』を通して,「説明したい!」という思いが沸々と湧き上がってきました。これって凄いなと思いました。先生と一部の児童とのやりとり (一斉型 ) で解にたどり着き,それを黙って座って聞いているだけで,果たしてこの「説明したい!」という思いが湧き上がってきただろうか?という思いに至ったんです。その間,あべたかさんはニコニコとしているだけ。僕は“任される”と燃えちゃうんだなということを知りました。でもそれって「僕だけじゃない!」とも確信しました。もっともっと学習者を信じ任せ委ね手放していってもいいじゃないか。だって学習者“自身”とそのコミュニティ“自身”にとっての学び・成長なんだから,任されると燃えちゃうぜって思えました。しかし,先生たちは,何かを教えたり,声掛けしたりしていないときっと不安なんですね。これ,まさに“仕事術”にも大きく大きくとんでもなく大きく影響しているように思います。「他の人(同僚や子どもたち)ができることは自分はやらないで任せてしまう」。人がやりたく・やりやすくなるようなところに力を注いだり,他の誰もやっていないところに力を注いだりするみたいな働き方。あべたかさんそのものだなと感じました。でも自分がやるところは実に“丁寧”。構成的な「協同学習」を大切にしている由縁とも感じましたし,非構成的な『学び合い』を成立させる肝なのかもとも感じました。任せられて「ええええー」ってならない“安心感”があるのでした。お互いを尊重し合って生きていく,子どもたちも僕ら先生も。これって「民主主義」だよねと思いました。あべたかさんとはまたやらないといけません。

基本は多様性を大切にするです。

ですが、このあたりがくせ者で、「自分の信じているもの」が絶対的に正しいと思ってしまうと「それ以外を認めない」「自分の信用していることだけを広めようとする」みたいな感じになって、多様性が担保できなくなってしまいます。

ここらへん、よく考えていきたいです。

参加してくださった方々、どうもありがとうございました。

上越教育大学でお待ちしております(笑)。<(_ _)>

20160902 上越市内の書店巡り

今日は、思うところがあって、こちら(上越市)に住んで初めての書店巡りをしました。

大きめの書店を3店一気に巡りました。
教育書コーナーを見に行ったのです。
めちゃくちゃ充実している!というわけではありませんが、まぁ、それなりに置いてありました。

最近、本を買うと言えば、(特に教育書は)ほぼAmazonで買ってしまいます。だいたいが、著者名、そうでないときは、タイトルとテーマで数冊注文するわけです。

ただ、今回の「思うところ」というのは、最近の書店に置いてある教育書の傾向やその教育書の「書き方(というか書きぶり)」を見に行ったのです。
わたしが教員になった頃に出版されているものもしっかり置いてありますが、ほぼ大半はここ数年出版されたものですから、どんな内容が置いてあるのか、そして、どんな文体で書いてあるのかがわかります。
これは、Amazonでは見れませんからねぇ。つまり、立ち読みのために、数冊、試しに買ってみることはできませんから(笑)。

なるほどなぁ……と、いろいろと思いを巡らせて帰ってきました。

「読み手」として、若手の現場の方々はどう受け止めているのだろうなぁ。オブラートに包んだ声でないものを聞いてみたいなぁ。

20160901 自分の変化

集まりの中で、隅の方でニコニコ、ニヤニヤしているわたしを見て、「いつも謙虚ですね」「奥ゆかしいですね」とおっしゃってくださる方がいます。

この数年の私しか知らない方には、そのようにわたしのことが写るのだろうと思います。確かに、基本、わたしは自分から話しかけないで、話しかけられたことにうんうんうなずいているだけなので……(^0^;)。

若いときは、真逆といっていいほどでした。どこまでさかのぼるかということになりますが……、まぁ、自己中心もここまでくるか!という感じでしたね。

初任校で職員旅行に行ったときのことです。帰りのバスの中で、「阿部さん、歌うまいねぇ。」などとおだてられた後、学校に帰り着くまでの間、延々とカラオケを歌っていました。今思うと、ホント赤面です。
あの時は、数人の先輩先生におだてられて、やれチェッカーズだとか近藤真彦だとか歌っていました。が、大多数は、疲れた帰りのバスの中、静かにしてほしかったに違いありません。ホント、周りを考えないオバカでした。

これは、カラオケに限らず、授業実践や他の学校教育活動でも同じで、一番年下にもかかわらず、たぶん、「自分はすごい」と勘違いし、相当勝手なこと、勝手な発言をしていた自分がいます。ホント恥ずかしいです。

で、歳を重ねて、周りが少しずつ見えるようになってきて、自分の勘違いに気付きます。その勘違いと連動する形で、どんどん、自分に自信がなくなっていく自分がいます。

歳を取ると、好き勝手な振る舞いができるんじゃないかと思っていましたが、違いました(そういう振る舞いができる人がいるかもしれませんが、わたしにはできません)。

今ですか?

今、自信がなさ過ぎて、何をやるにしてもおびえている感じなんですよね。
これはこれで、ちょっと異常かなぁ……。

昔から、極端ということは変わらないみたい。

落ち着きながら、足下を見つめて、少しだけ前を見て歩こう。

© Takayuki Abe 2016