20170116 一人か集団か

人間は社会的動物だし、弱い動物だから、生きていく上で他者と関わったり、協力したりしていかなければ生きていけません。それは、この世の人間のたぶんほぼ全員が賛成してくれることと思います。

しかし、関わり方、コミュニケーションの取り方や関係、距離感といったものは千差万別なので、ここでいろいろとトラブルやよき思い出や苦い思い出、苦しさ喜び等が発生するのでしょう。

おおざっぱに分ければ、普段は個人で過ごして自分の都合の良いとき(欲求があるとき)に他者と関わることが心地よいと感じる人と、普段は他者と一緒に過ごすことが心地よく、たま〜に一人になりたくなる人とに分けられるように思います。(もちろん、極端を描いているのでその間、グラデュエーションはあると思います)

ちなみに、わたしは、圧倒的に「普段は一人でいるのを好み、都合の良いときだけ他者とかかわるでいい」人間です。
これって、基本、自己中心的でわがままなんだと思ってはいます。
だから、よけい、人と関わるとき、とってもエネルギーを要します。
「たぶん、他者は自分を都合の良い、わがままな人間と思っているに違いない。でも、今は他者と関わりたい、コミュニケーションの輪に入れてもらいたい。こんなときだけなんだと言われるだろうな」
と思いながら、「あの〜ちょっといいですか。」と言って輪に入れてもらったり、別にそのエネルギーを使わなくてもいいから、「やっぱ一人でいよ」となるわけです。もともと、一人でいるのが心地よい人なのでこれはこれで全然気になりません。

こういう人間にとって、修学旅行とか遠足とかは苦痛の種でした。

だって、必ず班をつくって、班行動をとらなくちゃいけないですからね。
「何時から何時まで、自由行動ね。一人でいろいろと巡ってもいいけど、何時までに必ず戻ってきてね」
と言ってもらえたらなんと気が楽だったことか。
(といいながら、わたしが指導者だったとき、こういう言い方はできませんでしたけど。学校が世間が許しませんよね。危機管理として)

わたしが、とった手段は班決めをしているみんなの輪の外で、ニコニコ(といおうより、ニタニタかな)しながら結果を見ている人。
幸い、わたしは、人と深く関わろうとしない代わりに嫌いな人間というのも存在しなかったので(結局、みんなから嫌われているであろう人が隣に来ても、嫌がりはしませんが話をしないだけなので)残った人間と班を構成するだけでした。
(たぶん)担任の先生も重宝したと思います。それなりにまじめで勉強ができる人間(わたし)が、学級のあまった人たちを受け入れるような形で班を作ってくれるから。

あれ?あれれ?

最初書こうとしていた内容と全然違う内容になってきてしまいました。
ここまで書いて消そうと思ったのですが、まぁ、今の心の内が出てきた文章なのだと思って、おもしろいから消さないで、このままアップすることにします。

このように、なんだかんだいって、「コミュニケーション」「関わり方」にいまだもっていろいろと抱え込んでいるのが自分なんですね。面倒くさい奴だ。
また、いろいろとここに書いていきます。
単なる、自己開放、自己発散、だね。

最近、カウンセリング系やアドラー心理学のセミナー等に出かけていないなぁ……。これは、そろそろ、再び、そういう研修を体が頭が求めていると言うことなんだろうか。
ちょっと、考えてみよう。

© Takayuki Abe 2016