20170224 「対話」とは「対等」であること

「主体的・対話的で深い学び」を筆頭に、「対話」という言葉を聞く機会が多くなってきました。

さて、この「対話」ですが、「対話」というテーマで新書が一冊かけるほど、いろいろな切り口、があると思うのですが、わたしは「対話」を成立させる条件というものをここ最近、考えています。まぁ、様々な方とコミュニケーションをとる機会が増えてきたからでしょう。

その一つに、「対等」であることというものがあるでしょう。

どんな時でも「対等」という関係であれば、いつでもどこでも「対話」ができるかもしれませんが、少なくてもここは「対話の時間」だよと設定されているときくらいは、両者「対等」であることを了解、または、意識した上で過ごさないと「対話」は成立しませんよね。

一方が一方を「評価」していたり、「評価」するような言葉を投げかけることで「対話」は成立しなくなります。

少なくても、わたしはそうです。「評価されている」と自分が思った段階で、対話はできなくなります。身構えて、仮面を被った、または、上部だけの「会話」を連ねることになりますね。

これは、友人関係がそうでしょう。互いに「対等」であるからこその友人であり、「対話」ができるのですよね。つまり、評価するされる関係であれば、「友人」とは呼べないわけです。

わたし、ずっとずっと前から、友達が少ない、友達が少ないと言い続けてきました。そうかと(今さら)気づいたのですが、「対話」できる人を探していたのです。それがわたしにとっての「友人」だからです。

「対話」できる人、と思って自分の周囲を見ると、何人かの方々の顔が浮かぶようになりました。そうかぁ。なんだかんだいって、自分にも「友人」ができているんだと思って、うれしくなりました。

だから、上から目線で接してくる人は「対話」できませんので「友人」にはなれません。仕事上の付き合いはやむを得ないかもしれないけど。もちろん、下から目線で接してくる人も同様です。これって、年上、年下関係ないんですよね。

自分が、「対等」として様々な方とつながろうとしているから(だと思いたいですが)か、なんだか、ここ数年で、年上の方も年下の方も、友人が増えてきました。とてもとてもうれしいです。

日々、本当に、様々な人と、「対話」をしていて、おもしろいなぁ……ってね。
やっと、自分も成長してきた感があります。
「対話」を楽しめるって、人生を楽しんでいることに重なります。

わたしと「対話」してくださるみなさん、いつも、ありがと♡。

© Takayuki Abe 2016