20170408 参加者が主役の「第55回東北青年塾」に参加して考えたこと

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第55回東北青年塾に参加しました。9日の東京のイベントが先に決まっていたため、「上越−仙台−東京」という移動は我ながらバカだなぁと思いながら、2週間前に仙台で「第2回協働的な授業リフレクション研究会」を行った際、大きな忘れ物をしてしまい、それを取りに向かう意味で(というか、本音は単純に仙台の仲間に会いたかったと言うことです)東北青年塾に参加しました。

今回は、「仕事術」と「ビブリオバトル」の2本立て。

どちらも、誰かが「講師」として前に立ち、それを皆さんに伝えるものではなくて、小集団の中で話し合い、ゆるやかな選出があって、その代表者が全員の前で発表する(紹介する)という形でした。つまりは、「進め方」が決まっているだけで、他は100%参加者に委ねられると言うことです。これに参加して考えたことが大きく2つあります。

一つは、「参加者主体」の時間は、「参加者がどれだけ本気で参加するかで面白さの度合いが大きく変化する」です。「仕事術」も「ビブリオバトル」もとても面白かったのですが、これ、経験してから感じたのですが、もっともっとおもしろくすることができるということでしたし、もっとおもしろくできたはずなのにそうできなかったのは、参加者である自分が「本気で楽しむための参加(準備)をしなかったからだ」ということです。
今回、「仕事術」には、自分の「これだ」という仕事術に関連するものを準備すること、「ビブリオバトル」については、紹介する「教育関係の本」を準備することとなっておりました。わたしは、仙台に出発する前に、この事前準備を確認し、「これを持っていこう」程度の軽い感じでの参加でした。しかし、このときに「より面白くするために、有用な経験とするために準備」をして参加すれば、もっともっと楽しい、興奮する時間になっただろうなと思います。改めて、「参加者主体」という時間は、「参加者の参加する意欲、気持ち、心構えに寄与される」ということを自分で実体験しました。実体感しました。

二つは、参加者が「より面白く参加」「主体的に参加」するためには、その時間を進める人(ファシリテーター)の「参加者により、主体的に参加する促し」で、より「参加者達が前のめりに参加することができる」ということです。わたしは、「参加者が主役」なので、面白かったかどうか、役だったかどうか等々の責任は「100%参加者自身」にあると勝手に思っていました。もちろん、参加者の責任の割合がとても大きいとは思います。それは当たり前ですが、参加者が前のめりに参加する環境を設定するファシリテーターがいることで、「前のめり」しやすくなるのではないかと思いました。(もしかしたら、ファシリテーターには当たり前のことなのかもしれませんが、一参加者として普通にぼんやりと参加して改めて感じたことです)

この二つのこと、自分の次の何かに役立ちそうです。
さて、本日は東京で新たな出会いがあります。楽しみ楽しみ。

© Takayuki Abe 2016