20170625 「第3回協働的な授業リフレクション研究会in東京」で実験授業者になってみて

協働的な授業リフレクションを行うためには、当たり前ですが全員が同じ授業を体験(受けるか、見るか)しなければなりません。そこで、協働的な授業リフレクション研究会では、実験授業というものを行います。どんな授業でもできなくはないのですが、できれば、活動的な授業、いわゆるアクティブ・ラーニングな授業がよいとされます。それは、「教師の成長」を考える時、教員が教育技術を習得して進める授業よりも、「体験ー省察」という形で学習していく授業がスタンダードになっているからです。

だったら、活動型の授業であればどういうものでもいいかということですが、そういうわけでもありません。その後、授業リフレクションを行うのであれば、授業者がそして体験した方が、次に進めるものでなければなりません。となりますと、その時点での「理想(自分のこだわり)」を授業にしていく必要があります。

2013年に「新人教師はどのように授業を体験しているか」ということを経験していく中でわかったことがあると上條さんは言います。

「彼らは自身の理想(こだわり)周辺の事実はよく見ているということだった。そして理想から外れた「見え」を指摘された際には、気持ちが閉じて暗い表情になるが、理想(こだわり)の周辺事実に水を向けられると、表情がやわらぎ、嬉しそうになる。そしてその語りが一段落してやっと自らの授業の見えている部分と見えていない部分の境界線で起きている不十分な出来事に意識が向くということである。この境界線に意識が向いた時に必要な分量だけアドバイスすること。そうすることが若い教師たちの授業の「見え」の拡張につながるということがわかってきた。

それぞれ教師の理想(こだわり)を深掘りし、そこから授業を見ていくことで、自分らしさを保ちながら、自分自身の授業をより良い方向へ拡張できるかもしれません。

さて、そんなこんなで(どんな流れでそうなったものか)わたしが実験授業を行うということになりました。もう現場の人間ではないわたしが、こうして現場の方の役割を奪ってよいものかと思いますが、機会があるのですから、体験しておくといろいろと私自身にとってもよいことがあるだろうと引き受けました。

しかし、苦しみました。

「理想(こだわり)」を授業にするって、どういうこと?
ということですよね。

これ、相撲が好きだから相撲を題材にして授業をするとか、おしゃべりが好きだから話すことを題材にした授業をすることというわけではないのです。自分の「理想(こだわり)」を深掘りして、それを授業というまな板に乗せていく作業が必要になります(と思います。少なくともわたしはそれをしてみました)。

このモデルは、前回3月に仙台で行った「第2回協働的な授業リフレクション研究会」でのエピソードです。大内さんという若手教員の実験授業のエピソードを聞いてなるほどそういうものかと自分の中でイメージしました。ただし、それが上條さんのいう「理想(こだわり)」を深掘りする作業として正解なのかどうかわかりません。わたしにとって唯一の深掘りの具体的なイメージなので、その手順をたどりました。

大内さんといえば、わたしから見ると、大のサッカー好き。自分の好きなサッカーを見るために、行こうと思ったその日にスペインに行ってしまうほどのサッカー好きなのです。第三者から見て、これほどわかりやすい「好き」はありません。わたしは、単純にサッカーネタ、または、サッカー周辺の何かを授業化するのだろうと思っていました。

しかし、彼が行った授業は、3人一組の班を作り、3人で相談して、二人は好きな食べ物を一人は嫌いな食べ物を「好き」と偽って対する別の3人組に紹介し、互いに嘘をついている人を看破するという授業でした。

はて?彼はどこからどうして、この「理想(こだわり)」の授業をつくったのだろうと考えていたところ、最後の方で彼が授業づくりのきっかけを話してくれました。

自分の中で「理想、こだわり、好き」を絞ることができなかったので、上條さんに対話をしながら見つけていく作業をしたというのです。上條さんからは3つ程度の「好きなこと」を話す準備をしてくるようにと事前に言われていたとか(このあたりわたしの記憶で書いています)。その中にやはりサッカーも入っていたみたいですね。

で、当日、上條さんと対話をしていく中で、サッカーが好きなのはどうしてだろうかと一歩踏み込んでいきます。そのやり取りをしていく中で、相手の股を抜いてボールを運んでいくことや、相手を欺いてパスを出すこと、マリーシア(ずる賢い?)がブラジルでは褒め言葉になることなどに興味関心が強く、考えてみれば、サッカー以外の他の部分でもそういうところに目がいく、例えば、映画ライアーゲームが好きとか、という自分に気づいたということでした。そこから、上述のような授業をつくっていったとのことでした。

ほうっ、そういうことなのかとその時は思いました。

さて、自分。自分の「理想、こだわり、好き」探しです。

最初、思いついたのはウンチクです。わたし、時間があると漫画喫茶に行って1日中漫画を読み漁るのが好きなのです。で、その漫画の種類は、モンキーターン(ボートレースを描いている)、月下の棋士(将棋世界)、ヒカルの碁(囲碁の世界)、風の大地(プロゴルフ)…。あっ、自分の「好きな漫画」はある世界のウンチクがストーリーによって描かれているものが好きなのだということがわかりました。

だったらと思って、それぞれのウンチクを語ってもらう授業にしようかと思ったのですが、これってなんだかなぁ。学習者の知識を語ってもらうようになるなぁ。めちゃくちゃおもしろい話をしてくれる方はきっといるだろうけれど、何を話すこともなくて、苦しくて、自分を卑下してしまう人もでてきそうだなぁと思って、ちょっと頭の片隅にしまっておくことにしました(つまり、どうしても他のプランが考えられない時はこの案を出してこよう)。

ということで、6月25日を迎えるのでありました……つづく。

で、もうちょっと頭の中でいろいろと自分の人生の中のエピソードを思い出しながら出してきたのは、「民主主義」でした(苦笑)。上條さんは忘れているかもしれませんが、わたしは民主主義という言葉が大好きで、自分が30代中盤、上條さんと頻繁にお目にかかっていた頃、何かというと民主主義と言っていました(大笑)。で、上條さんは「民主主義って、言葉は綺麗でいかもしれないけれど、その具体性がわからない。阿部さんが何を考えて民主主義と言っているのか他の人には通じない。あまり、民主主義という言葉を使わないほうがよい」というアドバイスをくれました。


でもね、ここで思い出したのが民主主義なんですよ。もちろん、民主主義という言葉そのものを使うつもりはありませんでした。で、自分に問います。民主主義って、具体的には、生活場面に絞るとなんのことよ?


で、答えが出ました。それは

「選択」

です。選べるということです。

「人生は選択の連続である」

は、シェークスピアが言った言葉として有名ですが、民主主義は「選択できること」が保証されていることなのですよね。専制君主がいたり、または、奴隷だったりすると「選択」が制限されるわけです。


わたしは、中学校2年生くらいから、大人や社会に対して反抗的になります。自分で明らかに自覚があります。これは、いわゆる反抗期だったのかもしれませんが、社会の矛盾といいますか、「強制的な部分」に対して、ことごとく反発していくわけです。そこで、パンクに走ったり、一方的な物言いの方にはつっかかっていったり(これ、内容が正しいか正しくないか、関係なく、単なる一方的というだけで、反抗的な態度を取っていました)、自分では言葉にしてはいないのですけど、「選択肢がある」ということにこだわっていたと思います。

この出発点が中学校2年生なのですが、たぶん、ずっと変わっていません。まぁ、「つっかかっていく」ということはしなくなりました。そういう一方的な決めつけをする人とは「話をしない」か「ニコニコ表情をつくっていても話をスルーして聞いているか」みたいな「大人」の対応(これって大人の対応なのかな…)をしている自分がいます。

教員になった時も、初任者の頃から、子どもたちへ「一方的な話し方」をしてきませんでした。それは、たぶん「選択」を自分の中で大切にしてきたから。


これ、「選択」という言葉でも説明できますが、「多様性」とか「それぞれ」とか「個別」という言葉でも説明できます。今もそうですが、初任者の頃から、教室内でみんなと違うことをしている子たちを見ても、「それぞれ」だからなぁ。きっと、そういうことをしたい事情があるのだろうみたいに受け止めてきました。

自分の「理想、こだわり、好き」が見つかりました。\(^o^)/。


さて、しかし、この「理想、こだわり、好き」が見つかった後が大変です。これをどうやって授業に乗せていきましょうかf^_^;)。そこで、またまた、思い切り悩みました。

苦しいわぁ…「理想、こだわり、好き」を大切にした授業は…f^_^;)。


ここで、突然ですが、大内さんの授業に戻ります。

昔からの教育雑誌「授業づくりネットワーク」を読んでいる方は、大内さんの授業は聞いたことがある方が多いのではないかと思います。授業づくりネットワーク誌で、「食わず嫌いゲーム」という名前で学習ゲームとして発表されています。わたしは、この授業を見聞した時に、ピン!ときましたが、協働的な授業リフレクションでは、「知ったかぶりの語り、説話、自慢話」はしてはいけないことになっています。ですので、そこで話はしませんでした。


まぁ、それはそれとして、ネットを調べたり、書籍を調べれば、この「食わず嫌いゲーム」は出てくるかもしれません。しかし、大内さんは、自分の「理想、こだわり、好き」を見つけた時点で、自分の中で考えて、授業化しました。上條さんが言うに(わたしの記憶では)、「今後、いつでも、ネットや書籍で調べることはできる。第一歩として、自分の中から出してみることが大切なのだ」と言っていました。


さて、自分。

それなりに長く生きている、それなりに長く教員をしている、それなりに長く民間教育に関わっているので、それなりの数、授業実践が頭に入っています。自分の「理想、こだわり、好き」を見つけたはいいものの、考えるもの考えるもの、何かと自分の過去の実践だったり、著名実践者の修正追試のようなものだったりになってしまい、頭を抱えました。


結局、余分なものを捨てて、20分という授業に形をなすように持っていったつもりなのですが、どうでしょう…。なんだか、これが自分の「理想、こだわり、好き」をアウトプットした、題材にした授業なのか?と自分の中でもクエスチョンでい続けています。


「理想、こだわり、好き」というよりも、結局、まわりからどのように見られるかということを気にした授業なのかな…。まだ、自分のことがわかっていません。

(ここまでは、「第3回協働的な授業リフレクション研究会in東京」前日、東京前泊のために夜東京へ向かう新幹線の中で書きました)



© Takayuki Abe 2016