20170912 ノイズの排除

今日も、学部生の教育実習での細案授業の参観に行ってきました。別な学校、別な学生です。

わたしは、つくづく、授業を見るのが好きなんだなぁと思います。授業を見ているだけで元気になります。(授業をしたいわけではありません。いろいろと授業を見て、気付くことがあっても、それが「できる」自分ではないことは知っています。もう、現場教師としてのキャリアはとっくに終わってますから。)

昨日とはまた違った意味で、素敵な授業を展開していました。

まず、学生が授業を進める上で知っておかなければならないことは、もし、自分が気持ちよく、または、それなりに自分の思い描く授業を進めることができたとして、それは、目の前の子どもたちの担任の先生の「学級経営」の上に成り立っているということです。

本日、参観した子どもたちは、とにかく、授業への集中力、待つ姿勢、聴く姿勢、どれも素晴らしくて、学生の授業はもとより、日常の子どもたちへの担任の先生の指導の素晴らしさがめちゃめちゃ伝わってきました。

その上でも、なかなか素晴らしい授業を本学生はしていたと思います。
この学校のある先生が参観していたわたしに近寄ってきて、
「素晴らしい学生さんですね。先生の日常の指導が素晴らしいのでしょうね。学生のうちからこんな授業ができるようにするなんてさすがです」
と、わたし、何にも授業指導していないのに誉められてしまいました\(^o^)/。

主に、良かった点は、2つです。

  • 説明、指示、発問に「ノイズ」がなかった(少なかった)こと。
  • 子どもたちに通る声で話しかけていたこと

ちょんせいこさんが、荒れた学級に入るときによく言われることが、子どもたちの前でお話をする際に、ノイズを少なくすること。
ノイズとは、様々な意味合いを含みますが、簡単に言えば、説明、指示、発問の中に「よけいな一言(や情報)」を入れないようにするということです。
授業を参観していて、います。
なんだか、説明、指示、発問がすうっと入ってこない先生って。
それって、余計な話が多いんですよね。
これって、ユニバーサルデザインの授業の視点でとても重要なことと思います。

まず、ありがちなのが、「えっと〜」「あのうぅ〜」というもの。
そして、気持ちの悪い「間」。(間をじょうずに、うまくとることはプロフェッショナルな要因ですね)
あと、丁寧に説明をしようとして、2回も3回も同じような説明、指示を入れてしまうこと(これ、今でもわたし、やりがち)
そしてそして、詳しく説明しようとして、たとえ話などを入れ込むのだけれど、逆にそれがわかりにくくしているということ(これも、わたし、よくやります……(^0^;)。ノイズばっかりやぁ。わたし)

これを防ぐには、当たり前ですけど、「ノイズを出さないように」と意識すること、初任者(初級者)であれば、話すことを紙などに書き出して、話す言葉を精査すると同時に、それをなんども読み上げて、練習することなどがありますね。

本学生は、どんなことをしたのかな。もしかして、自然にできたのかな?だとしたら、人がうらやむ(というか、わたしがうらやむ)資質能力をもっているということになりますね。

そして、声。

子どもにストーンと通る声で話していました。
これはこれで、なかなか難しいですよね。
わたし自身のことを言えば、もともと、声が通る人間であったこと(それゆえに、小学校2年生から6年生まで、学習発表会でずっと主役でした。これって、わたしを形成する上でいろんな意味を持っていると思います……これについては、いつか書いてみたい)
大学では、演劇サークルに入り、ずっと(下手でしたけど)役者として舞台に立ってきたことが、声を「前に出す」ことに役立っています。

とにかく、いい声でした。
張り上げるとかじゃ無いんですよね。
声が、通るんです。
教室の中を。
そして、一人一人の子どもたちの中に入っていく。

子どもたちが安心して、授業に入っていく様子がわかりました。
がんばっているなぁ。みんな。
うーん、気持ちいい!


© Takayuki Abe 2016