20170924 創造的な活動への覚悟(主体者になり得るか)

「真面目な小心者」のわたしは、依頼されたこと、やらねばならないと決まっていることに対しては、その〆切を確認し、(質はともかく)その日までにはなんとか依頼されたことを確実に仕上げること「だけ」を信条にしている部分があります。
ですので、依頼されたことややらねばならないことの期限を守らなかったことはほとんどないです(0とは言えません。何度かはありそうなので……(^0^;))

で、そこがわたしの課題であります。

結局、来週の○曜日まで、とか、○月○日までという仕事があった場合、そこにゴール設定して、前日や当日くらいまでにダラダラと仕事をして仕上げていきます。
ですので、Aという仕事が終わったら、Bの〆切の仕事に向けて進めるのですが、Bの締め切り日までにダラダラとBの仕事を行っていくわけです。そうなりますと、Bが終わったらCの仕事の締め切り日までをまたダラダラと行ってその前日くらいにやっと仕上がる……という感じ。

うーん、何を言いたいかと言いますと、これでは、「依頼された仕事」「やらねばならない仕事」に関してはできるので、まぁ、表面上、(〆切を守らない人よりは)ちゃんとしている人という評価は得られるかもしれませんが、それ以上のことは達成できないわけですよね。

それ以上のことというのは、簡単に言えば、「創造的な仕事」です。つまりは、「(依頼されなくても)自分がやりたい仕事(こと)」「新しい何か(仕事、こと)」です。新しいことを生み出すことができないままずっとずっと時間が進んでいくわけです。

で、あながち「依頼されたこと」「やれねばならないこと」はそれなりにやっているので、仕事をやっているような気になるときがありますが、でも、新しいことができていないことになります。

だから、〆切ギリギリまでにダラダラと仕事をしていないで、早く終わらせてさ(時間をかけたからって、いい仕事ができるわけじゃないんだから)、時間をつくって新しい何かに向かえばいいじゃないかということになるわけですけど……。

例え、時間がぽっかりできたとしても、(これって、ダラダラ仕事をしていると言うことはそのダラダラの時間にやはり別なことをしたり、考えたりしていると言うことなのですけど)雑多なことに興味関心があるわけで、その時間を使って、今興味関心がある本を読んだり、映像を見たり、しまうわけです……。で、夜になって罪悪感を感じることしばしば……。

ハァッ……これぞ、あべたかだわ。

宿舎にテレビがない私は、契約しているNHKオンデマンドで「ビートたけし誕生」とか「眩〜(くらら)北斎の娘」とかを見て、芸に没入したり、絵に没入する彼らを知り、考えてしまうわけです……。

ざっと見、上べっつらの「興味関心」だけで生きているよなぁ〜。

「それだけ」に没入したいと思いつつも、「それだけ」に没入してしまうことの怖さ、恐れ、がいろいろとありますよね。なんだか、人生、それでいいのか?って。
それは、覚悟がないことなのか、主体的でないからなのか。

うーん、酒も飲んでいないのに、わけわからんこと書き始めたので、これで終わりです。


© Takayuki Abe 2016