2024年3月の最終週は,休みをもらって実家の福島に引きこもっていた。
最後の週は,実家に引きこもると決めていたので,それまでの間,やらなければならないこと(原稿2本,4月の新年度に向けた3月までにやっておかなければならないもろもろのこと)を夢中で終わらせた。
そんな中での実家,福島。
みなさまご存知の通り,実家に戻っているときのわたしは一切仕事をしない。忘れる。
ネットさえも確認しない。関係ない。
どちらかというと世捨て人的な生活をする。
(ちなみに,上の美味しそうなおにぎりの写真は,母がわたしと息子のためにつくってくれた昼食の様子)
この自宅にいた1週間は,妻にお願いされた,家事というか家族内,家庭内の仕事以外は,KindleUnlimitedを読み続ける生活。(まぁ,そうなることは私自身も想定済みだったんだけど,こんなになるとは自分も驚き)
テレビもラジオもネットも何もいらない。食事はほしいけど。
息子などは、本当にちゃんと仕事をやれているのだろうかこの人?という感じでわたしを眺めるほどわたしは呆けている。
一足先に,退職後の自分の生活を経験してしまった感じ……笑
外出せずに,200万冊の本が読み放題。
「ありがとう」としか言えない。
この週間で,永井路子さんに出会い,永井路子さんにハマってしまった。
永井路子さんにどっぷり浸る
この一週間、読んでいたのは、永井路子さんの作品。「この世をば(上下)」「望みは何ぞ」「北条政子」。
恥ずかしながら、永井路子さんという歴史作家を知らなかった。いやぁ、どっぷりはまってる。
「この世をば(上下)」「望みは何ぞ」は、藤原道長の伝記、かつ、摂関政治の終焉までの小説。
このあたりは、社会科授業で取り扱う程度の知識しか持ち合わせていなかったので、あらためて、へえっと思いながら、読んだ。
もちろん、作者、永井さんの史観が含まれると思いながら読んだのだが、摂関政治とか源氏物語のモデルとか勝手なイメージをもっていたわたしは、それと真逆に描かれる道長を描いていることに「へえっ」の連続だった。
考えてみれば、三男として生まれた道長はその段階からして、政界のトップに君臨できるはずがなかったわけ。そういう意味でも「運」がめちゃくちゃよかったことになるのだと思いうのだけど、それに加えて、「凡人」と自分で自覚していたからこその「平衡感覚」の持ち主だったからこそうまくことを運ぶことができたという解釈はなんとも面白い。
「運」に含まれるのかな。子沢山だったことも後々の頼通などが苦しんだことを考えるととても大きいね。
また、その当時の疫病にかからずある程度の年齢まで元気で過ごすことができたことも「運」に入るのかな。
「運」以外の部分に関しては,メタ認知力と呼ばれる力を道長はうまく使っていたように永井さんは想像して描いているように思う。一方的に自分の環境におかれた自分から目線で見るのではなく,他者目線,他者からの当事者目線あたりも用いていたような描き方だ。。
このあたり、私自身も自身の生活の参考にしたいなぁと思った。
さて、新年度の仕事に頭を切り替えて、私自身も気持ち良い日常生活を歩んでいく努力をしていかなければ。どんどん,他の皆様に追い越されていってしまう……。
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