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授業UD研究(第17号 2024年)に「誰もが学びやすい教室づくりを教室ファシリテーションの視点から」が掲載されました


「日本授業UD学会」の学会誌「授業UD研究」(第17号,2024年,8月31日)に拙文「誰もが学びやすい教室づくりを教室ファシリテーションの視点から」が掲載されました。


元来の学校教育とファシリテーションはぶつかりあうもの

元来,「教え導く」ものがデフォルトである学校において,参加者の主体性を最重要に考え,そこに集まってきている人たちの調和や合意形成などプロセスに配慮し,そこで導き出される結果には踏み込まないことを大切にするファシリテーションの考えや技術は齟齬をきたすものと考えます。


指導から学びへの学校観,授業観の変化が求められてきているとは言え,学校とは「教える場でしょ」「指導するところでしょ」「(子どもたちが導き出した結果に)教師がコミットしてこその学校でしょ」というのは,ゆるぎのないところとは思います。


「学校は指導という役割を放棄しちゃえばいいのに」と心の中で思い切り振り切っているつもりのわたしでも,「学校は強制装置である」という部分に関しては,現状,社会的にそうなっているのだからここを無視することは,現実を無視することになってしまうので,ここを見据えた上で実際の実践や過ごし方をどうするか考えないといけないなぁと思っています。


堀公俊さんの「学校とファシリテーション」は秀逸

この視点から考えるに,「授業づくりネットワーク」(No.44 通巻352号)で堀公俊の巻頭言「学校とファシリテーション」はとても秀逸です。学校にファシリテーションを取り入れる時には必ず読んでおくべき文章だと考えます。


ここでは,3つのファシリテーションの原則とそこに関しての学校教育のジレンマが書いてあります。なるほどなぁと思います。先に書きましたが,元来の学校教育,従来の学校教育は,少し大げさに言えば「軍隊式」というか,教師が考えている結論にいかに子どもを方向づけるかというところに依っていたことがあるわけで,今,そうじゃないところに向かおうとしていたとしても,そこかしこに,この名残が残っているわけです。


今回,わたしが「授業UD研究」に書いた内容は,この堀公俊の考えを引き継ぎ,これの解消または障害にならないようにする考えと手立てを,わたしからの見立てで提案したものになります。


具体的には……

ととと,ここは書きません(笑)。書いてしまったら「授業UD研究」に書いた論文の意味がなくなりますからね(笑)。興味ある方はぜひとも手にとって読んでみてください。


少しでも多くの方に,「なるほどね」と言ってもらえたらうれしいのですが……。あとは,わたしの表現力,伝達力のあるなしにかかっていますかね。(そこが一番問題やん!という声……)





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