うちの家族の映画事情
うちの家族は,揃いも揃って皆,インドアが多く(妻を除く),映画は互いに興味が重なる共通項の一つである。
とはいっても,好みが異なるところ多く,全員が揃って見るということはあまりない。
例えば,大学4年になる息子は,どちらかというとアクションだったり,SFだったり,アニメあたりを好む。本人はミュージカル映画も好きだと言っている(思っている)ようだ。
次女は,映画の中に何らかの深い主張を持っている(と思われているもの)を好み,哲学的なものや歴史的なもの,を好むようだ。
で,3月末,次女が実家に帰ってきていて久しぶりにいろいろと話している中で,
「お父さん,オッペンハイマーは,見る?」
と尋ねてきた。
「うーん,まだわからんけど,社会科好きな人間としては見とかなくちゃいけない映画かなぁとは思ってる」
と答えたら,次女は
「監督がクリストファー・ノーラン,なんだよね〜。だから,見とかなくちゃいけないかなぁと迷ってる」
という言い方をしてきた。
あっ,そうなのね。
次女は,映画監督で映画を選ぶんだ……。
確かに,「クリストファー・ノーラン」というと,それだけで,日本の庵野秀明さんのごとく,表面的に目に見えるものの奥深くに,なんらかの主義主張があって,そこにメッセージを入れ込んでいるという(わたしなりの)イメージがある。
で,わたしはあまり監督名で作品を見ていなかったが,クリストファー・ノーランの作品,それなりに見てるわ〜ってことになり,息子とかが,「何?何?」ということになって,その時は急遽,実家でAmazonプライム・ビデオで「インセプション」を見るということをした。
これはこれで,何度見ても考えさせられるところがあっておもしろい。
さてさてオッペンハイマー(ネタバレおおいにありですから,大いに注意)
さてさて,映画「オッペンハイマー」。
アメリカにおいて,どんな作品をつくって,なぜに数多くの映画賞を受賞したのか。
まずこの映画は,基本「オッペンハイマー」の半生を映像化した作品であるということである。あとは,ここに史実とクリストファー・ノーランとの解釈が絡み合ってできた作品なのだろう。
日本と戦っていた相手としての米国人全体の感覚はそんなものなのかなと思った。
その1
まず,映画の時代背景として太平洋戦争時であるにもかかわらず,戦争場面(シーン)や戦場が一つも登場しない。オッペンハイマーの近辺,近況を映像化しているわけで,全国民をあげて戦っていた日本と兵隊とその他という形で分けられてしまうであろうアメリカではずいぶん戦争に対する認識が違うのだなと改めて思った。
日本で戦争当時の映画を作るとなると,戦争映画ではなかったとしても,必ずや空襲やひもじい生活,言論統制のやりとりのようなものが登場するだろう。
この映画ではまったくなかった。戦争当時であるのに,楽しくお酒を飲んでいる場面もたくさん描かれていた。
なぜに,日本はこんなレベルの違う国と戦ってしまったのだろう。
その2
世界で初めてのものを作ってしまった人は,やはり「一般の人」「普通の人」と感覚が違うのだろうか。原子爆弾を作ってしまった後の狂気ではなく,原子爆弾を作る前からいろいろと狂気が発動していたみたいで,そういうものなのかなぁと思った。
そんなこんなで,原子爆弾を作った後から,一般的な常識というか感覚を持った人間のように描かれていくが……。ここ,どこまで正確に描かれているのだろう。
だって,原子爆弾の製作には数多くの人が直接的に関係したわけで,その方たちは,完成し,爆弾を落としたことに,大きな喜びの表現をしていた。
どこまで,オッペンハイマー自身がが感じることができるのか。
「当事者」「自分が……」
という意識が急に降り掛かってきたのだろうか。
何度か,アインシュタインが登場する。まぁ……ここはいいか。
その3
このときに,オッペンハイマーを中心とした人たちが,原子爆弾をつくらなかったとして,その後,世界はどのようになっていたのだろうか。
「どうせ,他の誰かがつくって,原子爆弾をどこかの国に試していた」
のだろうか。
それは,ソ連だったのか?日本だったのか?イギリスだったのか?やっぱり時期の違いはあれどアメリカだったのか?
まぁ,「もし……」はないからね。
思っていた以上に,議論や対話に多くの時間を割いていて,そこからなにか感じてもらおうという意図があったのだろうなぁと思いつつ,ネイティブに理解できないわたしとしては,そして,アメリカの事情を知らないわたしからすると,半分も理解できたかどうかわからない。
でも……。
まぁ,見ておいてよかったと言うか,「見た」という記録を残しておくべき映画かなと思う。
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