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田中博司先生をお迎えして〜「対話」や「関わり方」がテーマの1日目


田中博司先生とのつながり

田中博司先生を本学(上越教育大学)にお迎えして学ぶ2日間。

1日目の本日は特別ゼミ。


田中博司先生とはいつからのお付き合いだろう。

わたしが「あい・らぶ・ しょうがっこう」というHPを開設していた頃からの付き合いなので、相当昔からになる。


特に密に近づいて、話した頃は、(田中先生の記憶とずれるかもしれないが)「授業づくりネットワーク」が定期的に夏集会を開いていた頃、メインの講師に板倉聖宣氏をお招きした頃だったと思う。

(で、いつだったかな?)


部会や討議等の中心にいない私達は、部屋の隅の方で二人でコソコソと、ヒソヒソと、夢中で二人の教育論のようなものを話し合っていたように思う。

なんだか、わからないけど、息が合う2人であった。


そんなおり,わたしは,『学び合い』に出会い,その考え方の習得,実践に夢中になる。

田中先生は,もともと興味があったというが,「通常学級における特別支援教育」や「ユニバーサルデザインの授業」に主たる立ち位置を求め,ちょっと連絡が疎遠になる。


もちろん,二人はNPO法人「授業づくりネットワーク」で共に活動し続けていたので,機会あるとお話はしていたのだが,いつしか,当時の出会った頃の「熱き話」はしないまま時が流れていった感じであった。


昨日から本日,話をしなかったことが嘘のように,互いにここまで何があったかということを話し続けていく……。

互いに,話をすることはなかったが,根本的なことは変わらず,そして,互いに,人見知りだったり,精神的な弱さだったり,対等に話したり話してもらうことに注力していたり,対話的だったり,カウンセリング,コーチング,脳科学,ゴルフへのこだわり,家族への愛情……いろいろと重なることが多く,出会った頃の自分たちにもどっていた。


特別ゼミについて

せっかく田中博司先生がいらっしゃるので,阿部ゼミのメンバーだけで学ぶのはもったいないと思い,他のゼミの面々にも声をかけて,興味ある学生にも参加してもらった。

阿部ゼミ18人+他ゼミ15人=33人での特別ゼミ。

内容は、主に『特別支援教育コーディネーターの仕事スキルを通して学ぶ,人を「つなぐ」,人と「つながる」ちょっとしたコツ』であった。


やはり,現役教師の「今」を通した声は切実で現実的だ。学生たちにも,ビンビンに伝わる。

考え方や事例を教えてもらった後,教員として,同僚との対話を実践的な演習を行った。

その後,体験してみてのフィードバック。

共感の嵐。


「対話」や「関わり方」をテーマに語り合った¹日

特別ゼミの中では,田中先生が知見と経験をもとに自ら整理した「3つの対話」の考え方とその実践が印象的であった。

3つの対話は,そのどれもに良い悪いはなく,当たり前ながらその状況に応じて適用していくようにしていくものである。

対話だから,相手があってのものであり,その相手の状況や関係性,などによってもその都度異なってくる……ということである。

冷静になって考えてみれば当たり前のことなのだけれど,これって自分が当事者になり目の前に何らかの対話が必要になったときに,そういうことをとっさに考えて対応できることはなかなかに難しく,本日,整理して提供してもらい,それをもとに演習したり,演習をもとにしたリフレクションをしあったりできたこと,参加者の皆さんは腑に落ちたことが多いのではないかと思う。


若手との関わり方が話の焦点

この特別ゼミがあった後,田中先生とは夜の部に突入。

わたしたちの中でのリフレクションである。

あっちこっちと,いろんなところにジャンプしながら濃い話をしていったが,酔った頭で強く印象に残っているのが,わたしたち年配者が若手とどのように良好に関わっていくようにするか……ということであった。

田中先生を年配者としてしまうのは,ちと失礼かもしれないが,20代,30代から見たら年輩の部類に入ると思うので今回はそのくくりで話を進める。

若手との関わりとは,田中先生の具体としては,自分の勤務校の中での若手教員(や同僚)との関わりであり,わたしとしては,自分のゼミ生との関わりである。同僚とゼミ生とは根っこのところでは関係性が異なる。同僚には年齢差はあってももともと上下関係はない。もっとも,田中先生は主幹教諭なので,そういう意味では管理職的な位置づけになっているとは言えるかもしれない。ゼミ生の場合,アドバイザー(教員)と学生という関係であり,ここにある部分では評価する者とされる者という関係性があるので,同義とは言えない。

であっても,アドバイザーとゼミ生とには,よき相談相手,対話相手としての役割があり,少なくとも私自身はそこに重きをおいているつもりだ。


さてさて,そんな中,同僚やゼミ生と対等な関わり方をしていきたいとわたしたちは願って入るが,そんなわたしたちの腹づもりはともかく,相手(田中先生の同僚やわたしのゼミ生)からすれば,「年配者から語られる」というだけで「圧」に感じてしまう可能性があるということである。

ここをどうするか。

例えば,若手,またはゼミ生の「ある行為」に対して,心配して声をかけたとする。そして,その「ある行為」に関して,こちらはそれなりに解決の糸口(知見や経験)を持っていたとする。で,こちらは心の底から「心配」して自分の考える解決の糸口を伝えたとしても,相手はそれを「指導」や「説教」と捉えてしまう可能性は大いにあるわけだ。

難しいな。

わたしなんかは,そういう誤解を生じることのないわたしなりの対応策として,場面場面で自分なりに対等な関わり方の姿勢で臨みながら,最低限関わらなければならない時(例えば,全体で行うゼミ)以外は,自分から関わりにいくことをしないようにしている。そうすることで「圧」を感じる場面が少なくなるだろう……という考えだ。しかし,ここには大きな欠点があって,(田中先生も会話の中で他の場面で話していたが)年配者から若手に向けて関わりを持とうとしなければ,若手から年配者へは相当の理由がない限り関わろうとしてこないということである。

そうなんだよね。わたしなりに対等に接しているつもりで,あとは個人的に(もちろん,2人組でも3人組でも)「なにかあったら,いつでも話しかけてね」「連絡ちょうだい」と言ったとしても若手の方から話しかけてくるはずがない。

ほんと,難しいな。

まだ対等に関われていない,信頼関係を築けていない,ということなんだろうけど。


今回,「視線」ということで田中先生とわたしの違いを確認した。

田中先生は,「困りごと」を抱えている人に興味関心というか気になってしまうことが多いらしく,本来の自分の守備範囲を超えて(例えば,学級担任をしていたとしたら自分の学級外でも困りごとを抱えている人を見つけたら)自分から関わりをもとうとする行動を取るらしい。ただ,それは日本,地球の範囲ではなく,自分が関われる範囲(例えば,自分の勤務構内)でということだったけれど。

まさしく,生まれながらにして「特別支援教育コーディネーター」の資質を持っている方ともいえよう。その場では,別に「特別支援教育コーディネーター」だけでなく,管理職を含め,校内全般にかかわる役割(研修主事,生徒指導主事などなど)もそれは必要だろうと話していたけどね。そこまで言ってしまえば,学級担任でも,または教師全般にそういう考え方は必要だよねとなって際限がなくなる(笑)。


わたしは,もともと積極的に人に関わっていくという姿勢がないので,「上から目線」の接し方を普段からしていないようにということを自分の中での最大の配慮とすることを大切にしてはいるけれども(と自分では思っているけれど,人によっては上から目線で接せられていると感じたことがある人がいるかもしれません。すみません),自分の守備範囲の外に目を向けようという気持ちをあまり持ち合わせていない。ゼミ生など,わたしと(一定期間)関わりを持つ間柄になった方だけに目を配る生き方をしている。逆に言えば,そうじゃない方に関してはほぼ関心がなくなる。

わたしは,誰かのことを考えてしまうと,自分の頭の中でいろいろと妄想を膨らませてああかなこうかなと考えてしまい続けてしまうところがあるので,自分と関わってくれる人々の中だけで考えることで自分のキャパシティを超えないくらいの健康的な生活ができているのではないかと自己分析している。


ゆえに,わたしのキャパを大きく超えることを多様な仕事生活の中でスマートにされている田中先生を改めてすごい!と認識する1日でもあった。


話を伺うに,日常の仕事以外の場所で自分自身を高めていく場があり,そこで日々精進しているらしく,その向かっていく姿勢に圧倒された。カウンセリング,コーチング,ウェルビーイング,プレゼンテーション,脳科学,自己啓発……。どれもこれもすごい。

改めて,これからも田中先生からいろいろと学ばせてもらいたいと思う。


そうそう。

そんな「令和の関わり方」でいろいろと悩めるみなさんへ,

共感しながら見てしまうドラマがある。

今クール,木曜日22時からフジテレビ系列で放映中の「いちばんすきな花」である。

「ああっ,だよな。わかるわかる……」

テレビの無い宿舎で,Tverのリアルタイム配信で鑑賞しながら一人うなずきながら見ている私です……笑。










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